罪とはなんですか?
祓へ(はらへ)
神に祈って罪・けがれを清め、災いを除くこと。また、その行事。(古語)
罪。
神のおきて・道徳・習慣にそむいた行為。
悪行・過失・けがれ・わざわいなど。
すべて憎むべきこと。
また、その結果としての責め。
(古語)
-天つ罪-
天上界で犯した罪。
天つ神に犯した罪。
-備考-
神様に対しての罪となります。
冒涜や無視などが代表例みたいです。
-国つ罪-
人間が地上で犯したという罪。
病気・災害・不道徳な行為など。
-備考-
人に災害を与えたり。
病気に追いやったり。
不道徳な行為全般が国つ罪とされます。
「罪」かなって思ったら。
須賀神社に一度は参拝しておきましょう。
全国各地。
鳥居に「須賀神社」と書いてあれば最高。
素戔嗚命様の罪穢れが消滅し。
「ここに来て、自分の心はすがすがしい」と仰せになって。
その地に宮を作って、お住まいになりました。
そのようなことがあったので。
その地を「須賀」というのです。
場所が「須賀」で「須賀神社」
御祭神は「素戔嗚命様」ですので。
そのような理由で参拝しておくと縁起が大変によろしいです。
罪については学んでいくものです。
神様が教えてくれるかもしれませんね。
この世にある罪の概念は知っておいたほうが。
幸福が得られますよ。
神様はあなたの裁判官ですよ。
それを自分なりに。
自分の方法で神様にお伝えしましょう。
「罪」は終わりを告げます。
神様は寛容に。
正しく裁いてくださります。
心配は要りません。
違反は神様が諭してくださいます。
こうして貴方は罪からの解放を得ます。
人が人を裁くことはできない。
権威は神が立てたものであり。
神が限定的に裁けるように用意したもの。
人が人を裁くことはできない。
権威は神に背けず。
人が人を裁くことはできない。
神の裁きを受けたくなければ。
人を裁くことなかれ。
「穢れ」については神様にお任せして。
自分はその都度。
適切であればいいです。
罪は贖えます。
贖罪できます。
穢れはとんでもないものなので。
そこは注意してください。
ゼノン(ストア派)
「宇宙の理法」を「自然法」と言います。
人はこの宇宙の理法を理性によって知ることができ。
宇宙のルールを誰にでも自分の中に宿しています。
聖アウグスティヌスも同様に説明しており。
「自然法」の中身を理性によって解読するという。
哲学になるみたいです。
ローマ帝国では自然法が正式採用され。
実定法に適用され。
いろいろ改造を得て現在に至ります。
元は法律は人間が決めたものではなく。
「自然法」が基盤であり。
それにいろいろ付け加えたり。
時代の要求に合わせていますが。
物を言うのは「自然法」であって。
たとえば。
自分が歩いていて石に引っかけました。
でも石にあらかじめ避けろとは言えませんよね?
自然の摂理に抵抗してもマイナスだらけ。
「理法」
だれもが従うべき正しい道理。法則。
自然法は法的には時と所とを超越して存在しておりますので。
実定法とは異なりますよ。
時と所とを超越して裁くことができるという意味です。
自然法。
@(哲)自然を支配する法則。
A(法)時と所とを超越して存在する永久不変の法。(対)実定法。
自然法の威力は体験すると初めて実感する。
何故なら。
知識ではないので。
説明できない。
遅れないうちに行動してね。
哲学でも自然法は説明されていて。
自然法は実在するからです。
天照大御神様は荒れて乱行をしてしまった。
素盞鳴命様に対して。
最初は「酒に酔ってやったのでしょう。」と仰せになられています。
罪については天照大御神様と同じく。
人もかなり大目に見られます。
ちなみに酷過ぎると追放されてしまいますが。
罪穢れを祓う品物を背負わされ。
罪を贖い。
天照大御神様と素盞鳴命様は和解されております。
素盞鳴命様は櫛名田比売様をお助けになられて。
お嫁さんにされて。
宮殿に住まわれ。
安住の地となりましたので。
結果は良いものですね。
罪については。
かなり大目に見てくださります。
罪とは法律の事だけでは無いと。
伝えておきます。
垂仁天皇はサホビコの反乱で仕向けられて剣を忍ばせた皇后に対して。
「それはあなたの罪ではない」と仰せになられていますので。
他律や不可抗力でそうなったら罪にはならないこともあります。
罪については。
奥が深く。
御神徳によって悟ることができますので。
ご安心ください。
人を裁けるのは権威と天誅に従った場合のみ。
天誅とは天罰を代行すること。
天誅に従って相手に罰を加えることはできます。
天誅の意向を無視すれば自滅します。
罪人を故意に攻撃すると。
加害者は罪に問われる。
自然にもたらされた裁きに委ねるべきで。
人が裁くべきでは無い。
他人の罪。
罪同士は連携するので。
抜け道は存在しない。
被害者と加害者。
同時に実害が発生して。
被害が及んだ構図を発見したのです。
人が罪を犯すせいで自分は被害に遭う。
というのも罪と穢れの常識です。
すべて自分の罪である。
なんて自分を裁くべきではなく。
人の罪の被害に遭う事は普通にあります。
攻撃者が罪の力に苦しめられている様子を見たことがあります。
彼の罪だという事は明らかでした。
罪を犯さない方法はあります。
穢れた事を卑しむ事です。
汚れ事を忌まわしいと思えるようになれたら。
一人前の一歩手前です。
罪の判別が付き。
罪についてよく知るようになれば。
永遠のものです。
自身の罪に苦しめられることは無くなります。
この体得こそが罪と穢れの最終目標です。
来世まで影響が及ばぬようにご注意ください。
神道では。
「罪」は「穢れ」です。
でも「罪」でもあります。
合わさって「罪穢れ」です。
直感で悟ってください。
祓戸大神様に罪と穢れを祓い清めてもらうと。
かなりあっけなく清められます。
穢れが酷かったら。
又は穢れたくなかったら。
少しでも穢れていたら。
無条件で祓戸大神様を探して。
頼んでおくと吉ですよ。
同時に清潔概念がもたらされ。
個人的には。
罪と穢れを知らずに生きるのはナンセンスだと思います。
この世には神々が制定した法律「律法」があります。
「掟」とも呼び。
万能に出来ているものです。
人の力で敵わないように出来ています。
「自然法」とも呼ばれます。
これらは目に見えません。
自然法は特に。
違反すれば罰があるものです。
同時に罪を犯すことは。
罪に穢れる事も意味します。
しかし八十万の神は寛容で。
「私のすべての罪をお許しください」と気持ちを込めて謝罪しますと。
許しの免罪符が付きます。
しかし穢れた行為。
汚れある行為については。
祓い清めてもらわなければ。
自分が汚染され。
毒に侵され。
様々な形となって物理的に出現するもの。
罪の力は感知できず。
地味に強力で。
確実に自由を束縛し。
最悪な方向へ持っていくものです。
罪の目的は死だからです。
罪は受けると減ります。
許されると展開が異なります。
穢れはおぞましいもので。
罪穢れは基本的におぞましく。
諸所の災厄になるので。
祓い清めてもらったほうがよく。
人によっては程度の差が激しく。
多くの場合は終了するまで教えてはくれません。
善後処置があることもお忘れなく。
八百万の神に感謝。
祓戸大神様の霊感。
罪人。
この世では人が罪を犯すせいで。
被害を受ける場合があるものです。
相手の罪で危害を加えられる。
正当防衛の準備は怠らず。
罪を犯す人間の加害行為にはよく警戒し。
自然法の威力を目撃してはどうでしょう。
罪を犯す人間はとにかく危険です。
-悪魔の擁護者-
自然法の延長であったローマ法は。
次第に変化し。
条文と判例だけを抜き取った実定法へと独立しましたが。
元々の法律の形を成していません。
ゲーテは「法律は平和な暴力」と批判しています。
暴力で暴力を押さえつけるのが実定法の信念。
モーセの律法は神から授かった万能な法律で。
解読次第では誰も文句を言えません。
日本では道理に精通した大名が「法度」を制定。
道理に明るい大名が制定したのですから。
現代のように。
一人歩きした実定法では。
天誅という事にはなりません。
心理学用語で「悪魔の擁護者」とは。
誤った集団決定を行わない方法。
敢えて反対意見を述べます。
ここはアインシュタイン博士と意見が同じ。
有能な法学者だけで作ればいいのにね。
法学者が無能だと思ったのは。
法の抜け穴をつく攻撃がけっこうあるから。
法律は「禁止するだけ」で「広くカバー」はしない。
「迷惑行為」とかは対処できない。
これは逆に利用すれば。
迷惑行為で殺人まで可能という意味になる。
バカ正直に陥っていて。
法学者の無能さはいい加減にして欲しかったなあ。
法が多いと悪徳に口実を与える。
柔軟に行動できない法律の無能さには苛立つ。
なぜこのようなことを?
司法を信用していないし。
裁判長ですら信用していないからね。
アインシュタイン博士も司法なんて信用していませんよと。
自伝に書いている。
-宗教的-
とりあいず安直に牢屋に閉じ込めれば。
律法の霊的な力が加わり。
災難が降りかかります。
犯罪者は災厄に追いかけられていく。
災厄は人の力では対処できません。
罪の力は災難で強く出ますので。
どのような形かは内容次第。
一段落するので。
律法の力がこの辺りで出るようです。
この辺りは正統派牧師さんが語ったこともある。
聖書に言及もある。
人を裁くことは拒むことにする。
拒絶しても強制してくるでしょうね。
人を裁くことは拒絶。
セネカ曰く。
懲罰とは治療のようなもので。
加害の姿を借りて癒す。
悪徳で歪んだ精神を心身の苦痛によって匡正する。
軽い不調ならば。
医師も最初は生活習慣だけを変えるだけで改善する。
効果がなければ何かを減らして取り除く。
これでも駄目なら。
飲食を禁止する。
すべての穏やかな治療が駄目なら。
血管を切る。
体にメスを入れる。
どんな治療も過酷とは見なされない。
怒れる矯正者は不要で。
法律に携わる者も。
穏やかな方法で治療すること。
・・・・・と。
法律の信憑性が出てくる。
アリストテレス「弁論術」
書かれていない法に反する行為。
書かれていない法に反してなされた不正行為も、より大きい。
というのは、強制力によらないで正しくあること。
これが徳性においてより優れている人の条件であるが。
ところが。
書かれた法は強制的なものであるのに対し。
書かれていない法はそうでないからである。
罪と穢れは理論で説明できない。
体験によってでしか知り得ない。
罪悪の概念はキェルケゴールを読むと理解できるし。
把握するのにかなり役に立ちます。
ちなみに具体的な結論は入っていません。
キェルケゴール「不安の概念」から出したもので。
互換性は不明です。