-神道とは何ですか?-

神道は神話の時代から続く宗教で。

神の国である日本固有の信仰です。

不思議な宗教で。

開祖が事実上存在せず。

日本書紀・古事記を神典とし。

神話の時代から現代に至ります。

人と神様を直接繋ぎ。

日本各地の社殿で神様と謁見する。

厳格な教義こそ少なく。

個人の信仰などを含めて。

かなり自由な形態を取る神話の宗教です。


神道には入信できます。

神社で神様に。

「私は神道に入信します。」とお伝えしましょう。

これは神様を正式にお慕いするという。

意思表示になります。


神様にお願いするとなんでも叶います。

正当な理由をつけて。

神社に通い詰めると。

あっけなく開運しますよ。


もっとも近所に鎮座する神様は。

あなたの担任です。

通い続ければ。

基本を間接的に与えてくれます。


多くの多様性が含まれていますが。

支障があれば。

宗教が違うので。

という理由で排斥できますよ。

礼拝から出た多様性による神学なため。

もしものことがあれば。

他の宗教の引用は。

宗教が違うので。

という逃げ方で解消されます。

日本は様々な宗教の複合体で。

異なる宗教の教義とも余裕で共存していますが。

作為的に他の宗教を排斥することはできます。

すると他の宗教の教義を排除できますが。

宗教が違うからね。

というのはある意味で殺し文句です。



-神社参拝方法-「神職の方に教わった作法

鳥居の境目で一礼。

左足から一歩を踏み出す。

境内の自然や由緒などを見ると好ましい。

参道の真ん中は神様の通り道なので。

隅を通ること。

参道の真ん中は「正中」と呼ばれる。

-作法について-

作法は慣れてくれば自然に覚えられるので。

厳しいルールではありません。

作法を失敗したからと言って。

怒られることはありません。

なるべく作法の通りを心掛けてくださいね。

すぐに覚えられますよ。

神様は寛容なのです。




-手水舎-「清めの儀礼」

まず左手を洗って。

次に右手を清める。

左手に水を多めに入れて。

口をそそぐ。

柄杓に清めた汚水がかからないように。

最後に柄杓に水を入れて。

縦にして柄杓を清める。

ハンカチは必需品。

手水舎が汚れていたら省略すること。

柄杓を2回漬してはいけないと言われて。

やってみると水量が圧倒的に足りない?


-祓戸大神-

手水屋で柄杓を持ち。

以下の祝詞を唱えました所。

穢れが祓われて。

すっきりしました。

-

略祓詞。(りゃくはらえのことば)

祓ひ給ひ清め給へ。(はらひたまひきよめたまへ)

略拝司。(りゃくはいし)

祓ひ給ひ清め給へ。(はらひたまひきよめたまへ)

守り給ひ幸へ給。(まもりたまひさきはへたまへ)

-

メモに書いて。

唱えてバックにすぐ入れて。

柄杓を持ったまま。

そのまま清めています。



-参拝-「神参りの原則」

お賽銭は投げ入れないこと。

10円玉を3枚入れるか。

5円玉が好ましい。

お賽銭を免除している社殿もある。

お賽銭の金額の規定はありません。

気持ちを奉納するものだと思ってくださいね。

鐘を鳴らすときは。

ある程度でいい。

2礼2拍手1礼。

作法が分からなければ。

2拍手だけでもいい。

すぐに覚えるので。

それでいい。

ミスがあれば教訓とする。

最後に鳥居の境目で社殿に向けて一礼する。

大きな神社だと割と自由。

神社によっては臨機応変に参拝しないと。

難しい社殿もあるようだ。

出雲大社だと作法が若干異なります。

神道は気持ちが大事。



-神妙-「参拝には機転が必要?」

とある神社で参拝しようとしたら。

しめ縄が頭に刺さった。

次回から。

横に避けることにしました。

いろんな神社がありますので。

多少の機転が必要かと思われます。

参拝者の方々は。

かなりの頻度で小宮を見逃してしまいます。

看板には正統な情報の宝庫ですので。

目を通してくださいな。


-神様との御縁-「神様との関係」

自分と縁がある神様とは自然と親密な関係になります。

好きな神社や好きな神様が出来るわけですし。

神社に御呼ばれされる感覚も覚えるはずです。

私は敬神こそが大事だと書かせて頂きますね。

最初は自由にお願い事をしてみる。

そこからお付き合いがはじまるのです。




神道の信者になりましたら。

一か月に1回は神社に参拝しましょう。

たまには神棚に手を合わせましょう。


神道の信者を氏子と言います。

崇敬者とも言います。


近所の神社の神様を。

氏神様とお呼びします。


近所の神社を大切になされてください。


散々にお願いしますと。

神様に全部伝わりますから。

「ではこうしてあげましょう。」

と神様が決めてくれますので。

自分はそれに従いましょう。

合わせるのです。


キーワード。

神様にも祝詞。

神様はすべてお見通しといっても。

やはり黙っていたのでは通じないのでお祈りする。

つまり。

どんなにわかっていると思われることでも。

改めて。

きちんと頼むことが大切。

故事にある諺を早くに神様に伝えて。

「神様にも祝詞。」

神様から何らかの不思議な知らせがあるまで。

続けたほうがいいです。

人によって異なりますので。

網羅するのは不可能な体験談。


神々は因果決定論に激しく反対します。

そんなものは認めません。

神様は対人論法なんて使いませんので。

実際に足を運んで。

経過によって神様があなたをどう見ているのか。

理解することになります。

因果律は神道の教義ではありませんし。

神様は因果関係をあっさり無視します。


眠られぬ夜のために「第一部」304

大きな失敗や解けない紛争に巻き込まれた時には。

神様から賜わる死が。

すべての問題を解決する打開策であり。

多くの憎しみと怒りをなだめることのできる。

調停者である。

反対に。

自分で死にたがる(自殺を試みる)のは。

そうした困難を逃れようとする。

不確実な手段である。

下手な賭博でトランプやチェスを。

破壊するのと似ている。

我々がこの人生に召されたのは。

それに興味がなくなったら。

勝手にこの人生から出て行ってよいためではなく。

むしろ神様が適切な時に我々を。

呼び戻すまで。

自分や他人にとって有益な生活を営むため。

注釈。

取り返しのつかない場合は。

神様から安全な死がもたらされるという。

ヨーロッパ社会でよく目撃されるものだから。

自殺なんて考えないで。

神様から死が貰えるか要求してみる。

その前にいろいろ顧みて。

神様はどう見なしているか考えること。

無策で自殺しても上手に行かない可能性があり。

反対に死を貰えたら。

必ずどんな取り返しのつかない状況も消して貰える。

このような死で帳消しにする御技はよくあることで。

ヒルティは目撃したことのあるから。

自殺については楽観的に構えてみては?というもの。

ヒルティは神学から自殺を否定しており。

死は神様から貰えることもあるからと。

聖句を引用して著書にさりげなく書いている。

おまけに。

人間の死生観はどこも当たっている所がないという。

原文を少し加工しています。

本書はキリスト教の影響が多大なので。

哲学の範囲を超えています。

読み辛いかもしれませんので。

購入するのはお勧めできません。



神々が住まう世界が高天原(たかまのはら)。

日本国を葦原中国(あしはらのなかつくに)と呼ぶのです。

葦原の中つ国は高天原の一部です。


私達は青人草。

伊邪那美神の霊力によって寿命の概念がもたらされ。

黄泉津大神(伊邪那美神)によって命を落とし。

道返之大神に導かれ。

黄泉比良坂に赴き。

黄泉国に入ります。

後に。

伊邪那岐神の霊力で命を授かり蘇生致します。

伊邪那美神の許可があれば。

寿命を免除してくださるかと思います。

イワナガヒメ様は長寿の神様で。

お見かけ致しましたらお尋ねください。

これは以下の言葉で言い表されます。

輪廻転生。

死んでは生まれ変わり、何度も生死を繰り返すこと。


古事記と日本書紀の伝えようとしていることは。

「神々から教えを受けなさい」これです。

きちんとした教えを受けなければ。

「人」という存在を「確立」できません。



神道の神典・聖典と言えば。

古事記と日本書紀ですね。

現代語古事記は本屋さんで購入できますよ。

注文すると手に入るかもしれません。



古事記には罪穢れという記述があります。

罪に穢れるという表現がありますよね。

これは。

神社で神様に「わたしのすべての罪穢れを祓い清めてください。」

とお願いしますと。

神様のお力でが消えていきます。

神道の信者はまずこれを行ってくださいね。

神様は不浄な穢れをお嫌いになられています。

穢れるような行為は慎みましょう。


祖霊信仰を行いますと。

イザナギ神の神話と同じ目に遭いますので。

やめておきましょう。

ククリヒメ様を頼りましょう。

白山神社を参拝したほうがよろしいですよ。

白山神社は日本全国どこにでもあります。

Googleマップで調べることができます。


近所の神社の御祭神をネットで調べておきましょう。

神社本庁の関連ページから知ることができます。



詳しくは神社本庁を訪問しましょう。

検索すれば出てきます。

神職の方のほうが詳しいですから。

私は基本的なことだけ書いておきます。


神道の本宗は伊勢の神宮(伊勢神宮)ですよ。

異端はこれを認めません。

さらに帰属しません。

伊勢の神宮は歴代の総理や皇族が参拝することもあり。

度々ニュースで取り上げられ。

皇室の祖先神である「天照大御神」(内宮)と「豊受皇大神」(外宮)が祀られています。

とりあいず周囲には「伊勢の神宮が本宗」と言えば言い分を無くしますので。

それでいいと思います。


いまの世は偽物が大流行していますよ。

ブランド品から粗悪品・宗教・人間に至るまで。

偽物が本物であると主張することもありますが。

異端を信じても救われはしません。

偽物があるということは本物がある。

本物には偽物が達しえない真価がある。

宗教的な妄想に我々は脆弱ですので。

先手必勝。


神道を否定・批判することは天皇陛下を否定・批判(冒涜)することになりますので。

やめてください。

そういう行いをした人がおかしいのは目に見えているじゃないですか。



期待が長びくと心は病む。

望みがかなうことは、いのちの木である。

(箴言13章12節)

※真の聖書はギリシア訳であり、筆者はローマ訳をちょっとだけ齧った。

箴言は悪を避けるのに役立ち。

伝道者の書は知恵が手に入るので使用している。

ふたつの宗教に関わると。

いずれは決断の時が与えられる。


1986年10月。

ローマ教皇。

世界の各宗教・宗派の代表者を招き。

祈祷会を開催。

これは真実です。


それを手に入れないと、苦痛をおぼえそうだとさとったら。

そのことをあてにしていけないし。

それをやってみてもいけない。

(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

忠言として書かれている雰囲気の格言。



形而上学。


葬式に雇われた泣き男が。

心から悲しむ人よりも大げさに振る舞い嘆くように。

嘲笑する者は本当に称賛する者よりも大げさに感動して見せる。

ホラティウス「詩論」


プルタルコスのエッセイ「似て非なる友について」での事例のうち。

世間での称賛の大半は。

本当は嘲笑しているので。

大げさに感動して見せている。

現代でも同じ。

実際。

市民の評判は冷ややか。


確実な平和は、期待されるだけの勝利にまさり。

かつ安全である。

リウィウス「ローマ建国史」


確かなことを打ち捨てて不確かなことを追い求めるのは。

愚か者のやることだ。

ヘシオドス「エー・ホイアイ」


より正しい(社会的成功・勝利・欲望等)を選ぼうとして。

より確かな(平和・充実・満足等)などを打ち捨てる。

社会的成功や富などは不確かなもので。

確実なモノは勝利にまさる。

古典から出した人生論。

形而上学。



真実。

神社は普通に参拝者の方が来られますよ?

明るい若者の一団。

老齢の夫婦。

親子連れが境内で遊んでいる事が多いですね。

信仰心が強い元気な青年も見かけました。

50代の方がもっとも多い。

インターネットとか教育現場とかで吹き込まれても。

実際とは異なりますし。

祝日いらしてね。

見たままがわかります。

御安心あれ。

休日に大きな神社に行くと。

見たままがわかるよ。

それが真実となる。


-神学-

なんで?どのように?

こちらは科学の「問い」でありますが。

それを「なぜ?」に変えてみてください。

「なぜ?」に「問い」を変えるのが。

哲学の基本であって。

神学の鉄則となります。

なぜそうなのか?

しかしなぜそうなのだろう?

こちらが真理への道ですよ。


-初歩-

理論家と経験家は区別されており。

学的認識が理論家の特徴で。

理論家の方がいっそう知恵ある者だと記されている。

経験で物事を捉える場合は。

物事のそうであるという事実は知りますが。

それのなにゆえにそうあるかについては知っていない。

このなにゆえを。

すなわち原因を認知している。

ページ23。


宗教は当事者しか理解できませんよ。

当事者では無い者が外野から何を言っているのでしょうか?

首突っ込んで。

当事者ではないのに。

なぜ述べられるか謎だらけだね。


画像に埋め込みがあるよん。



縁切りの神様二柱。

伊邪那岐神の禊ぎの時に成った神様。

静岡県御前崎市門屋に鎮座する縁切り神社「高松神社」

至る所に末社が存在するので。

困った方はどうぞ。

縁切り専門の神様とされ。

霊験によって少しずつ悪縁が弱まっていきます。

問答無用で関係が薄くなっていき。

最後には離縁が決定する。

私のお勧め神社のひとつです。

「高松神社」

アクセスには菊川市を南下する必要があります。

なぜか静岡西部地域は。

海岸沿いが入り組んでいますので。

カーナビがエラーを起こさないように設定してください。

とりあいず悪いものを振り払いたい場合は。

何度も通って。

悪縁を切り刻んで頂いた方がよろしいかと。




古事記と日本書紀が売られていない。

聖書は千年前に揃っています。

神職どもはそもそも伝道もしないし。

正教から入れるきっかけも掴めない。

仕方がなく。

神社に赴き「素盞鳴命」さまにお伝えしておきました。

神職の怠惰・怠慢は甚だしく。

それで私は間接的にこうなったと。

たぶん。

機会がありましたら以上の事を注意しなければなりません。


もしここに欠陥があった場合。

神様がさりげなく教えてくださいます。

何かのきっかけで知ることは。

神道でよくあることです。

人から教わるのではなく。

神様から直接教わっています。

なお。

何か変な所がありましたら。

単なる失敗でしょう。

現代語・古事記で正統な解釈があり。

先輩となっています。

彼は現代の神学の基礎知識をもたらしました。


現代語・古事記では神学的な説明が付けられています。

これを基にして書き記すことができました。

あれは正統な解釈です。

現に言い得て妙ですので。

まったくの根拠なしに書いてはいませんので。

ご了承ください。



お地蔵さん。

神道と仏教は仲良し?

私は同志と呼んでいます。

これを見れば神道を理解するのは簡単かな?

とある神社の隅っこで祀られている地蔵さん。

仏を「仏さん」と呼ぶのが神道のならわし。

神道において先祖とは皇祖の事を指すのです。

神々と仏さん。

もっと言えば都合の良い墓の亡霊。

どちらに仕えているのか言ってみなさい。

神様公認の地蔵さんなのでした。


苦情。

神職の方が古事記と日本書紀を全巻揃えてくださらないため。

さらに情報開示が不足しているため。

不完全なホームページになってしまい。

神学者は大変に苦労しております。

そもそもボランティアでやっている為。

悪戦苦闘状態でした。

荒削りなホームページで申し訳ありません。



神様は寛容です。

八百万の神はとても優しいですよ。

神様に失礼なことはせず。

良好な関係を築いてください。


神様がいろいろ教えてくれるかもしれません。

神様は言葉で人に話しかけません。

神様と一緒に人生を歩まれてください。



この項目は体験談を基に構成されております。