私は義の性質を宿しており。
義によって成り立っております。
普通の人は善の性質を宿しています。
これは嬉しいことです。
私はカワイイものが好きです。
もっとも好むのは詩的なもの、ことですね。
自然が大好きです。
私は元々聡明で。
才能は武者修行によって得ました。
知性は賢人から頂きました。
それで、ものがわかるのです。
実は。
私は独神と同じく。
男女両方の性質を持っており。
極めて中性的です。
独神は男女の区別がない神様のことですよー。
生まれながらに有神論者であり。
自然に神様の元へ帰りました。
神秘に包まれて存在しております。
世の中萎靡沈滞ですよね。
萎靡沈滞。
人の心や世の中が、新しいものを求める活気に欠け。
進歩、発展する動きが見られないこと。
これだと腐っちゃいますよ。
歴史年表では法改正と戦争で埋まっています。
200年間進展が無いなんて。
無残ですね。
なんて事を述べてます。
停滞する世界なんて悠久ですよ。
人は動物じゃないんですから。
そろそろ進展が欲しいですね。
なんて事を述べます。
信仰というのは確かに絵空事ではないという意味では。
いつも現実の世界と結びついているはずです。
何者か神学者の言葉でしょうか。
「現実から聖書の言葉を判断するのではなく、聖書の言葉から現実を見つめなさい」という言葉を転換しますと。
「現実から宗教を見るのではなく、宗教から現実を見なさい。」
いやこれは体験しておりますよ。
神の存在を認める立場に立つ論として。
事実そのものです。
人間の知恵では現実とは目に見えて唯物論的に見なします。
明知があると。
宗教から現実を見るというやり方が正しいと分かります。
これが有神論です。
生活が大変でしたら。
衣食住の神様を三回訪ねて。
お願いするのがいいでしょうね。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざがありますから。
まず生活を確立させてから。
次があるのだと思います。
ならば思い切って衣食住の神様を頼って。
基盤を固くして。
保障して貰うなんて考えもできます。
人は本質的には弱い存在ですから。
多少の生活苦でも大変な負担になります。
少なくとも衣食住の神様によって。
別物へと変えてもらうように。
社殿に赴くという手段もありますから。
衣食住を完全にして。
次に進めます。
あなたが。
そこからどうするかは知りませんけれどね。
あと。
誇大妄想にはご注意ください。
意味。
自分の現状を実際より過大に評価して。
それを事実として確信すること。
「誇大」は大げさなこと。
「妄想」は根拠のない正しくない想念の意。
角川・新国語辞典。
誇大妄想。
自分の現在の状態(物事のようす・ありさま)を事実とかけ離れて過大に考え。
それを事実と思い込むこと。
-誇大妄想狂。
人生は神秘に満ち溢れり。
そに幸多かれ。
恵みの世界を歩むべし。
生活兵法を教えてあげますよ。
宮本武蔵の秘伝を引用。
「その都度、適切にしていなさい。」
「その都度、適切であればいい。」
「適切であることを心掛けなさい。」
適切であれば次第に合理的に物事が動くようになります。
どんな時でも適切であれ。
トマス・ホッブス。
社会契約説。
人は自然状態では争いなどに陥ります。
対立が発生しますので。
権力を立てて。
自分たちの権利と安全を保障して貰いました。
公共権力と契約し。
違反者を処罰すれば。
自分たちの権利を確立できます。
つまり契約金として税金を払うのです。
私達は公共権力と契約していますので。
無関心でいいはずがありません。
確かに民主制という制度に変更されましたが。
君主制・貴族政・民主制の三制度のうち。
民主制に決定されたので。
誇れるものではありません。
増長するべきではない。
民主制も衆愚政治という欠点がありますから。
社会と契約しているのに。
無関心でいいのでしょうか?
腐敗・退廃・堕落が4割に達しているようで。
人は自由を行使して堕落することができます。
いま一度。
原点に立ち戻って。
公共権力との契約を見直しましょう。
神権政治になるともっといいかも?
直接民主制は衆愚政治になりましたが。
間接民主制まで衆愚政治になったらギャグにもなりませんよ。
ハナ・アレント。
古代ギリシアの人々は奴隷制によって。
労働から解放され。
自由人は公的な場を重視しました。
余暇を社会の進歩・改善の為に活動しましたが。
現代では余暇をある種の生産に充ててしまい。
公的な人間では無くなりました。
ボードリヤールによると。
現在はもはや生産ではなく。
ブランドであると。
生きる喜びの為にお金を使うなど。
匿名の物品を生産するだけの奴は果たして人間的なのか?とまで批判されています。
余暇があったら公的な人として使ってはどうですか?
働かない人を差別して快感でしょうが。
古代ギリシアの奴隷たちと言っている事が同じなのは。
極めて残念です。
神道は性善説ですが。
犯罪の原理を説明できないので。
性悪説と両方を併用しています。
孔子の弟子が唱えた説なので。
お互いで成立していますよ。
性善説なんて偽善者が効果抜群です。
性善説を唱える人に対しては偽善者になれば騙せてしまいます。
なので一方に寄るのは危険です。
時に性悪説を適用することが必要で。
「善」の定義を知らず。
そもそも。
みんな。
「悪」を知らないのでは?
インターネットを信用しないほうがいいかもしれません。
子供の育て方ですって?
初めによく教えて。
年齢を重ねるごとに自由にしてあげてね。
教える内容は信頼性がある書物の内容。
聖書の箴言などを用いて。
道理にかなったことを中学生までにすべて教えてください。
子供に怒ってしまうのは子育てが下手な証拠。
子供に腹を立てる?なんですかそれ?
子供の育て方を知らずによく嫁に行きましたね。
無計画!無謀!
子供には根気よく諭してくださいね。
日本人は子育てが根本的に下手糞です。
大名の時代は子育てが上手でしたのに。
どうしたのでしょう。
子育ては中立公正なものを用いると成功率が見事です。
保養義務だけ満たしますと。
子供は不満になるかもしれない。
子供は本能に忠実なので。
子供だけの力で何かできるわけがありません。
大人の責任になります。
子供が欲しい?
申し子を申請してください。
神社に祈願して授かる子の事ですよ。
子供は選択の自由を行使して一人前になるのがいいと思います。
親は保養義務だけを満たす存在であると認識すれば。
不満は無いかも。
正しい相手と巡り会いたいのなら。
「縁結び」を探して頼ってください。
縁結びの神様や縁切りの神様は。
正しくない相手と付き合っている人が来ると。
縁を千切ってしまいます。
縁切りの神様は全国各地にいらっしゃるようです。
出産等は「木花咲耶姫様」富士浅間大社を頼ってくださいね。
子供は申し子が良いでしょう。
縁結びの神様に話をつけておく必要がありますね。
神様がくっつけた相手であれば。
結婚に失敗はありません。
たまに結婚生活で四苦八苦していて。
夫が居なくなればいいだとか。
子育てに疲れただとか。
愚痴を言っている人が居ましたが。
それなら結婚せず。
ひとりで自由に生きていけば良かったじゃありませんか。
というか諦めが少し早い。
結婚が女性の恒例行事になっていて。
特に理由もなく結婚してそうなっているようで。
「恋は盲目」ですねぇ。
私は子供に価値観を置く人々を見てきましたが。
私とは考えが違うようですね。
なぜ長々書くかと言いますと。
自分の頭で考えて欲しいだけです。
それだけ。
そもそも人によっていろいろと違うから。
強く言えないけれど・・・。
注意すべきは。
妙な術を確認しているもので。
変な術をかけてくるんです。
男女問わず。
上辺だけ綺麗に魅せたり?
力技で物にされる女性は少なからずいる。
現代の男性には用心したほうがいいかもしれない。
恋のテクニック。
力技で惚れさせる事は可能だし。
恋心が生じれば理性を失うので。
女性は簡単に獲得ってなわけです。
結婚詐欺師は普通に使うわけですし。
「惚れ落とし」なんて常套手段。
気持ち悪いのですぐ分かるでしょう。
力技ですよ。
みんな。
こういうのは縁結びの神様や縁切りの神様が切り刻んでしまうので。
離れたら追わなくていい。
男性は選びなさいよー。
相手がひとりとは限らない。
ボーヴォワール「第二の性」をお手本に読んでおいて。
ボーヴォワールを読んだ事が無い?そんな!?
夫婦の縁は神有月で取り決めが成されている。
出雲大社で説明されている神々の会議で。
縁を取り計らってくれています。
夫婦円満。
夫婦が成り立つのは。
偶然の出会いではないってことです。
有神論の人にとって。
夫婦の縁は偶然の出会いではない。
無神論の人にとっては。
偶然の出会い。
偶然の恋の多くは実らないし。
結末は破局と定まっている。
正しい相手と結ばれる人は多い。
間違った相手と婚姻する人はたまに実在する。
自分が付き合っている人が正しい相手かどうか確かめるには。
「○○が間違っている相手なら引き裂いてください」
こう神社に申し出るのが良いかな。
正しい相手であれば。
何かと正しい証拠や理由がもたらされるからです。
特に夫婦関係が機能していて。
縁ががっちり関係を保持しているのなら。
正しい相手と巡り合えたのです。
縁がお互いを離さなければ。
それでよし。
要するに。
「夫婦が成立していればよし。」
夫婦関係が成立しているのなら。
少なくとも間違った相手ではないでしょう。
意外と簡単で。
「偶然の出会いではないな。」
こう思ったら正しい相手なのです。
未婚の人は。
トラップに引っかかって。
間違った相手とくっつけられて。
恋という名の強要もあり。
とりあいず恋させればくっつけられる。
という類の罠もあるので。
縁結びの神様に。
ずっと前から頼んでおくほうがいいです。
結婚は焦ると逃げていきます。
縁結びの神様に頼んだら。
忘却してしまって。
自分から出会いの場に赴く。
それでも駄目ならお見合い。
こうすればどうにでもなります。
夫婦の神。
伊弉諾神・伊邪那美神。
私は伝えられましたよ。
あと。
性の正しい解釈を書いておきます。
性とは夫婦の間のみで育まれる誓いであって。
夫婦間のみで生じる営みである。
男女の誓いが事前に必要で。
子供を産む為に性行為が存在します。
結婚には形式的な儀式が必要で。
多くはそれによって誓いが成立します。
誓いから子供を産む為だけに性行為はあるのです。
よって。
愚かな性教育に汚染されてはいけない。
性行為には夫婦の誓いが必要である。
こう警告した。
道理にかなっているか。
よく考えなさってください。
性には根本的に可能性がありません。
性は決まった種類しか存在しないため。
性は限定的なものです。
性について正しい見解を導き出してくださいね。
私は変則的です。
型を破るには型を知らなければなりません。
何事も基本がしっかりしていないと。
それを実行するのは無理があります。
航空自衛隊はほぼ毎日スクランブル発進を行い。
領空侵犯に対処しています。
中国も韓国もロシアもほぼ毎日。
領空侵犯をしているのです。
領海での攻防も激しく。
侵入者に対しての戦闘が頻発。
国防の最前線ですよね。
兵器を否定するのなら。
それは無条件降伏を意味し。
他国の支配に服従しなければなりません。
どの国も自分の主権を守ることに真剣なのです。
武器なしで攻撃なしで生きていけると思ったら大間違い。
弱い人はいろんな人から攻撃を受けるでしょう。
反撃しない弱い人は。
サンドバッグには持って来いです。
争いは有史以前からあり。
いまもあるからです。
この世は理由もなく。
悪いものを受けることがよくあります。
日本でも歴史的に史実があります。
その数は意外と多いのです。
適当に空爆されて無意味に死亡した国民は大勢いますよ。
故意に攻撃する本気で馬鹿な奴もけっこういるので。
犯罪者としてニュースで報告されることも。
インドのカルタッタでは。
飢饉や疫病で無差別な被害に遭う人が大勢出てしまい。
聖女マザーテレサによって助けられるまで。
はじめて人らしく扱われた人も居るほどです。
二回の大戦で民間人の被害はかなりのもの。
無意味に死んでいます。
彼らに罪があるかどうかは。
明らかに異議を申し立てます。
人の世の異常によって。
被害を受け。
不幸になる人も居るのです。
人がいちばん融通が利かないし。
弱者に追いやられる人も出てしまいます。
人は根本的にえこひいきをします。
その逆もあるのです。
人は悪いことをしがちです。
社会に異常性が発生すれば。
被害に遭う人が居る。
世界的に事例は多くあり。
災害ひとつでもこれは容易に発生するものです。
こうした背景が。
何の意味も理由もなく。
悪いものを受けさせる原因になります。
私は生まれ変わりを繰り返し。
基本水準を上げていき。
それぞれの結末に辿り着く。
という見解を持っています。
アメリカで第二次世界大戦の時。
F2A戦闘機のパイロットが撃墜されました。
次に生まれた時に。
火だるまになって自分の戦闘機が墜落する悪夢を。
頻繁に見ることになり。
その少年は経験を超える知識を有しておりました。
F4U戦闘機のテストパイロットで。
機体特性まで把握していましたね。
ある子は毎日悪夢にうなされ。
アカデミー賞のトロフィーに触らせて貰ったら。
悪夢を見なくなりました。
その子は前世で。
大ヒット映画の脚本を担当しましたが。
授賞式の少し前に事故で亡くなっていたのです。
「人生は一度きり」という発言に根拠はありません。
無宗教者や無神論者は根拠が無い発言が多過ぎます。
テレビで報道されていた情報ですが。
中々に有り得る話では?
死んだら終わり。
なんてことはさすがに残酷なので。
生まれ変わりを信じたほうが健康に良いと思います。
結婚しなくても結婚してもいいんです。
自分の答えに行き着き。
選びましょう。
「女は子供を産んで一人前」という考えがあるそうですが。
それは男尊女卑の片棒を担いでいます。
古い連中に惑わされてはいけません。
「○○の子供が見たかった」という引っかけが定番ですね。
そういう相手に対しては冷酷であれ。
事実。
高天原の主宰は女神様です。
古事記では男尊女卑ではなく。
女神様がかなり強い立場におり。
未婚の女神様もいらっしゃいます。
私の発言は論理にかなっているでしょうか。
みんなそれぞれ自分の考えを持ち。
道理にかなった思想を持っていたほうがいいのです。
最悪なのは多数決が生み出した思想です。
出生。
古事記によると。
伊邪那岐神の霊力によって決定されている。
ならば伊邪那岐神にお尋ねしますと。
どういう訳か理解に至る筈です。
大国主命様の決定であるとも言われており。
二柱にお訊ねするといいかもです。
自然に決まっているような出生ですが。
スピリチュアルの話が本当ならば。
異教徒の侵略ですよ。
運命は天が定めており。
人間に変えられる筈がありません。
運命に従うと。
運命は味方になりますよ。
真理は買えますので。
まずはお尋ねして。
慎重に探るほうがいいと思います。
スピリチュアル異端は出生について自分たちの教義を広め。
洗脳を目的に屁理屈を言ったので。
仮説で対抗。
ルサンチマン。
弱者が強者を恨み。
強いとは悪で。
弱いとは善であると主張し。
価値基準を逆転させることで。
想像上で勝利する。
弱者による抵抗の形。
弱い事は良くありません。
なぜなら正当防衛や競争に打ち勝つなどの。
最低限の戦闘力がありませんので。
何かと戦うと負けてしまいます。
それが個人の問題だったら。
戦い続けるなんて無理です。
自分にすら負けます。
弱者は残念ながら。
虐げられるしかないのです。
力は必要なものです。
警察官は悪者(犯罪者)を倒すだけの力を持っています。
軍隊は強い奴だけで構成されています。
市民も力があれば。
権力があったら?財力があったら?
そこから見ても「力」ほど大切な要素はありません。
もちろん。
「正しい力」というのを見極めてほしい。
かつて「力」で日本を統治した「武士」から学ぶことができます。
とてつもない道徳です。
力と一体化した道徳です。
「力」を否定したらどうなりました?
弱い人は虐げられるしかないのですから。
最低限の力はつけておきましょう。
世の中おかしい?なんて言いましても。
自分もその仲間になってしまう危険性がありますから。
こういう時はすべてにおいて。
エポケー(判断中止)です。
冷静に観察して。
中立を保てばかなり避けられるかと思われます。
あと。
たくさん働きたい。
とにかく仕事したい。
なんていう祈願は確実に通りますので。
祈願は理にかなっているほど好まれます。
もしかしたら願望が進化するかもしれませんし。
社会に貢献する偉大な功績に行き着くかもしれません。
資本主義というもの。
どんなに恵まれていても。
労働階級に組み込まれれば。
奴隷と同じような扱いです。
意味なし。
運の良し悪しは労働階級では役に立ちません。
資本家階級(支配階級)は本物の実力者。
本物のインテリで占められており。
そっちに入れば勝利です。
なので。
どんなに良いものを持って来ようが。
労働階級の方に入ってしまえば。
こき使われて。
恵まれたものをすべて無意味に帰されます。
とにかく仕事大好き人間はかえって。
資本家階級に好かれるでしょう。
仕事大好き人間にとっては楽園なんだと思っています。
資本主義社会において。
生まれや能力の優劣よりも。
実際に使えるか?組織に従順であるか?
という「中身」が重要ですので。
東大出身とかは自分の値札に過ぎません。
仕事好きな人にとっては。
仕事をたくさんもらえる上に。
最高の栄華を持つ人間と結果が同じなんですから。
資本主義において能力の優劣や出身などあんまり関係ないですね。
織田信長公の言葉。
組織に貢献してくれるのは「優秀な者」よりも「能力は並の上だが、忠実な者」の方だ。
資本主義をよく理解することが大事。
これが私の見解です。
自然は好きでしょうか。
虫や動物は自然の一部です。
神道は汎神論ですので。
自然を大切にして。
尊重し。
畏敬の念で接しましょ。
食物と水は自然の恵み。
自然からの頂き物。
自然なしで人は存在できませんから。
私は自然に触れ合い。
自然のすべてを認めます。
古事記にて。
あなたは花のように美しく咲きたいですか?
それとも。
岩のように永久のものになりたいですか?
木花開耶姫様は儚く散る花の代表として説明されています。
石長比売命様は岩のように永遠であるようにと説明されています。
花は美しく咲いて散ってしまいます。
栄華の象徴です。
岩は永久のものです。
永遠を意味します。
わたしは岩を取りました。
永遠のものになるでしょう。
花を取れば美しく咲き乱れ。
やがて枯れて散っていきます。
何を言っているかはご自身で悟ってくださいな。
日本書紀より。
仁徳天皇は高い山にお登りになり。
四方の国土をご覧になり。
「国中に炊煙が立ち昇っていない、国内は皆、貧しいのだろう。」
「今から三年の間、ことごとく人民の課と役を免除しよう。」と仰せになられました。
(課は朝廷に納める品物、役は労役のこと。)
そのため。
宮殿は破れ壊れ。
ことごとく雨漏りするようになってしまいましたが。
全く修理することなく。
器でその漏れる雨を受け、濡れない所に移って避けました。
やがて天皇が国中をご覧になると。
国土に煙が満ちていました。
そこで人が豊かになったと思し召し。
ようやく課と役を課しました。
こういうわけで。
百姓は栄え。
役使に苦しまなくなりました。
そのため。
その御世を称えて「聖帝(ひじりのみかど)の世」というのです。
日本書紀によると。
「天が君を立てるのは百姓(おおみたから)のためである。」
「君は百姓をもって本とする。」
「かつての聖王は、一人でも飢えたのなら、自らを顧みて責めたという。」
「いま百姓が貧しければ、朕も貧しい。」
「百姓が富めば、朕も富む。」
「百姓が富み君が貧しいということは、未だない。」
訳:古来より民主体の政治が行われてきた史実であります。
注釈:君(政権)を立てるのは民のためです。
聖アクィナスの言葉を借りれば。
人間なんてちっぽけな存在が神様を認識できる訳が無いのです。
被造物に過ぎない存在が神様を語るなんてできないのです。
無神論は立場の違いですが。
人間がそんな大きな存在を理解できるでしょうか?
進化論で言えば。
自然発生した動物みたいな人間が。
創造主について理解できるはずがありません。
無神論はそういう点でそれを認めていると思っています。
有神論は神様を理解できた人なのかも。
まだ書き忘れた事があって
そういえばあれ
あと。
日光東照宮。
詳しくは容易に発見できますが。
門をくぐり終わる処。
北側(背面)の西から二本目の柱だけ一本が逆さに成っています。
「満つれば欠ける」の諺により不完全な柱を加えて魔除けにしたのではと言われています。
「魔よけの逆柱」と呼ばれ。
陽明門は未だ完成されていません。
かんせ
それで