イエス・キリストは現人神でした。(三位一体)

生前。

子供の頃から司祭も認めるほどの知識を有し。

大人になって。

神に近づきたいと願い。

ついに預言者ヨハネの洗礼を受け。

断食を敢行。

悪魔との勝負に打ち勝ち。

伝道を開始。

奇跡を行うようになり。

多数の崇敬者が付き従いました。

イエスに敵対する者たちも数多くおり。

イエスはユダが裏切ると知りながら。

彼を選ばれて。

ユダは計画通りに裏切り。

イエスは捕らえられ。

十字架刑で崩御しました。

エルサレム入城の際には。

世情が反イエスに傾いており。

ローマ帝国のピラト提督は公正な裁判をしようと試みましたが。

司祭と民衆が暴動寸前になった為。

それが一切できず。

十字架刑に至りました。

ユダはその後。

罪悪感で自害しています。

イエス・キリストは3日後に復活し。

キリスト教の神となって実在しております。

イエスに祈りを捧げれば。

すべての罪を赦して頂けます。


-全人類の罪を背負う-

裁判の際。

ローマ帝国のピラト提督は。

司祭が妬みでイエスを刑事告訴したのに気付いており。

「あの人がどんな悪い事をしたというのか」とまで発言。

イエスは法廷で特に何も言わず。

いくら不利な証言をされても沈黙しており。

司祭は十字架刑にするように民衆を説きつけ。

民衆はひたすら「十字架刑にしろ!」と暴動寸前まで叫び続けていた。

そこでピラト提督は。

過越祭で罪人を赦すならわしがあり。

それにかけてイエスを救おうとしたが。

イエスとバラバ。

どちらを釈放するか選ばせた。

民衆はバラバを釈放させた。

手に負えなくなったピラト提督は。

水を取り寄せて手を洗って。

「この人の血について、私に責任がない、自分たちで始末するがよい。」

こうして十字架刑に処された。

わざと死刑に処された背景には。

人類の罪を背負って十字架刑に処されたのだと語り継がれる。

とある訳では「神の栄光を称えた詩を朗読した」とある。

聖書では「なぜあなたは私を見捨てなさったのか」とあるが。

こうなると誤訳のようである。

イエスは全人類の罪を背負って十字架刑に処された。

崩御した瞬間。

神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けて。

中規模の地震が発生した。

また。

聖徒たちが蘇生したのち。

いくつかの超常現象が発生していたと伝えられている。

イエスの史実は非宗教者にも認められている事を忘れてはいけない。

しばらくして。

イエスは信者の元を訪れている。

神化した事を意味しており。

現在も天におられます。

「天の父のもとにおられます。」


正しくは神父さんか牧師さんにお尋ねください。


参考:学習漫画・世界の伝記「キリスト」古本屋にて取り扱い。



三位一体。

キリスト教で。

父(神)と子(キリスト)と聖霊は。

唯一神の現れであり。

元来一体である。



原罪とは?

私達に宿る「罪の性質」の事です。

神への従順を通して善悪の違いを学ぶはずだった「人」は。

罪を犯して善悪の違いを学ばなければならなくなりました。

要するに原罪が日本に入ってきちゃった訳なんですが・・・。


聖書では。

エデンの園が設けられ。

善悪の知識の木の実が置かれた。

この実だけは食べてはならないと警告されていた。

最高の天使として創造された存在が居て。

自分があまりに美しかったので。

神になろうとしたができなくて。

堕落して悪魔になり。

神の被造物であった人に目をつけ。

ヘビに成り済ましてエバ(イヴ)を惑わした。

エバは善悪の木から取って食べ。

アダムにそれを勧めてアダムも食べた。

すべての人が善悪の実を食べてしまった。

主が見回りに来ると。

アダムは自分が裸だと知ってしまい。

覆いを作って隠れていた。

アダムは責任転嫁した。

あなたが傍に置いた女が木の実を勧めたのです。

エバは惑わされたと伝えた。

主は宣告して人をエデンの園から追放した。

どうやら善悪の知識の木の実を食べると善悪が分からなくなるようで。

どんな理由であっても食べてはいけない毒の実。

アダムとエバの世は凄惨を極めた為。

神の心にかなっており。

正しい人であったノアとその家族だけを生かして。

ノアの大洪水で人類を滅ぼした。

再スタートとなっている。

創世記は神話だと言われている。

しかしそれを言うと聖書全体の伝えている事が分からなくなるとのこと。

根拠は「中川健一牧師」さんの内容を引用しています。


善悪の知識の木の実は。

人に「選択の自由」という根本的原理を与えるため。

そのままでは人はロボットですから。

最初にすべて教えて自由にする計画でした。

しかし人が背いて善悪の知識の木の実を食べてしまい。

罪を犯して善悪を知るしか無くなった。

結果は同じです。

プロテスタント「中川健一牧師」さんの内容を引用しています。



-感想-

クリスチャンを見て思ったけれど。

原罪で罪の性質を帯びているのなら。

正直に主に謝罪して。

ローマ人への手紙のとある項目を実行すればいいのに。

ええ。

主への恩義は3倍にして返しますよ。

お世話になりましたし。

だからクリスチャンに言います。

主は誰かを待ち望んでいて。

誰でも挙手すれば選ばれるようだ。

一時的にクリスチャンでしたので。

これらはその頃に授かった啓示なんです。



イデア論。

聖書で。

「暗闇の世界」という聖句があり。

「私達は昼間の者」という聖句もある。

イデアとは真実を目撃した者。

昼間に生きる者という意味で。

洞窟の比喩は聖書で言う「暗闇の世界」のこと。

つまり。

イデア論と新約聖書は連携しているので。

イデア論は立証できる。

エバが惑わされず。

アダムも神の命令を守った場合の展開にある。

人と神との関係の世界。

それの事を言ったのかもしれない。

その世界が一瞬見えたので。

洞窟の比喩などが書き記された。

イデア論は昼間の世界の事を指していて。

又は善悪の知識の木から食べずに歩んだ人類による。

この世界の真実の事を説明しているのだと思われる。

よって。

イデア論は宗教と融合すれば立証可能。


聖句で「義について自由にふるまっている」とパウロが指摘しているのですが。

まさにそれで。

人は。

義について自由に決定できると信じています。

義に従わず。

良い実を得ることもなく死に向かいます。



新改訳1970。

3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。」と仰せになりました。」

3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。」

3:5 「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」

3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」

3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」

3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

3:13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。

3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

3:16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

3:17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。

3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

3:20 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。

3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。


そしてまた霊感に打たれた。

原罪。

女は夫を求め。

産むのが苦しみになるほど。

産まされることになる。

私はそうする。

女は夫を恋い慕うが。

夫は女を支配する。

これは原罪の結果で構成されるパターン。

人に(男)に宣告されたのは。

ギリシャ人(ギリシャ正教)そのものが。

労働を尊ぶ国民であったので。

曖昧になった。

要するに生き辛くなった事を宣告されたもので。

苦しむほど労働する。

ただし。

男女共に原罪のために自覚が無いので。

罪の性質を持っている以上。

産みの苦しみと夫の支配。

労働の苦しみなどは。

実際には自覚することはない。

原罪が免除されると。

別物に変化してしまうためか。

前の文章には。

労働ですら苦しみとは書かれていない。

女性については。

先に創造された女と。

男の助けとして創造された女とで。

文章が曖昧であって。

ここら辺が謎。

女は原罪によって産んで夫に支配されるのが普通だと思っているし。

男は労働で苦しむものだと思っている。

原罪が消えると。

反転したものになるらしいぞ。

なんて解読。



神道の教義なしに。

イエス・キリストが神の子であると。

公認することができなかったかもしれない。

イエス・キリストは神の子であり。

現人神であると結論付けています。

神様の本当の子供です。

というか。

元来一体ですからね。

(三位一体)

全人類の罪を背負うために産まれ。

計画に沿って司祭達を妬みに誘い。

目に見えない法則面によって。

全人類の罪を背負って十字架刑になりましたが。

イエスが降臨しなければ。

神との和解ができず。

罪すらも明らかにされず。

私達は路頭に迷っていたのではないか。

十字架刑で。

やっと私達の罪が明らかにされ。

罪について知ることができたのではないか。



ユダヤ教では。

神に背いて善悪の木の実を食べて。

「これによって人類は英知を得た!」という解釈をしている。

ポジティブにも限度があるでしょ!!

イスラム教では。

「アブラハム」が特に尊敬されているという。

「ラマダン」は基礎的な精神訓練だと思うし。

厳格なのは古来の教え。

受け継いできたものを守る意思が強いからでしょうか。

イスラム教についてはよく知らない。

以下は必死に解読した内容で。

何故か成功しましたが。

解釈のひとつなので。

神父さんか牧師さんにお尋ねしてください。



「自分で復讐してはなりません、神の怒りに任せなさい。」

「主は復讐の神」

復讐は主に頼むことができる記述です。

自分で復讐すると成功しません。

復讐を祈ったら。

神の怒りに任せれば合格です。



「人は神の形に造られたから。」

その形を壊してはならない。

その形を保ちなさい。

決して崩してはいけない。

神に似せて造られたので。

それを崩す行為は慎みなさい。

「血の値を要求する。」

あなた方には争いがある。

ただし私はどんな者にも復讐する。



注釈。

聖書は箴言の宝庫。

契約宗教は。

文字通り「契約」した人しか理解できないもの。

傍から見て謎であっても。

その人は契約していない。

クリスチャンは契約している。

その違いがある。

よって。

神と契約を交わしていない人が見ても全く分からないのが真相。



「確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。」

「しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。」

「そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」

人の子を裏切った人間はいないほうがましです。

神に見捨てられた人間という解読となります。

全知全能なる神に見捨てられた。

人の子を裏切れば。

神に見捨てられます。

クリスチャンは人の子に裏切られても。

人の子を裏切らないようにと。

イエス・キリストの箴言でもあります。

人の子を裏切る人間があなたを裏切っても。

それ以外の人がいますので。

人の子を裏切る必要はありません。



体(身体)には何か埋め込まれている。

本能的なもの。

霊魂と肉体は別物。

この肉体には何か埋め込まれている。

これを「肉」と呼ばれていて。

動物的なもの。

もっと言えば動物以下のもの。

動物以下の反応しかしないので。

肉に従うと。

野獣のように自分勝手や。

本能的な行動など。

霊魂の命令を無視する。

肉体に自我があることを「肉」と表現する。

肉は神の律法に服従しない。

肉の自我は反抗して。

自分の言いなりにしようと頑張る。

こうして霊魂と肉体は敵対してしまう。

ローマ人への手紙の解読。

祈りによって実行できる内容。

原罪によって肉体に自我が芽生えたのか。

肉は服従せず。

それに従えば死ぬのは当然です。



古来。

中東域において盛んに造られた偶像。

世界にも点々としておりますが。

偶像を作成して礼拝を繰り返すと。

偶像の神。

偽りの神の誕生です。

偶像の神はひたすら「礼拝」を求めます。

偶像は設定された通りに動くだけですから。

助ける事はしません。

ただ礼拝だけを求めます。

人を生かしません。

偶像の神は礼拝しない者を叱責し。

攻撃するようです。

崇拝者に礼拝だけを厳格に求めます。

思えば。

偶像という概念が設けられている事に気付く筈。

人は試されたのでしょう。

偶像の神は実際に造れるようになっていて。

愚か者たちが陥る罠なのです。



「神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めた。」

意外な事に。

思いもよらない。

誰も自分の生が正しく制定されていると理解しないでしょう。

何故?

みなが「正しいもの」に自分なりの知識や奸智を働かせ。

いつも歪な方向へ変えたがるもので。

改変して悪化するもんです。

そんなことをすれば。

結果は常に最悪になりますよね。

全員がそれをやると。

どうなりますか?

理屈だらけの世の中になってしまうので。

全員で道連れにされてしまいます。

本当は自分が正しく制定され。

正しかったのに。

人が乱して歪ませて。

正しさから逸れます。

正しくあれば結果は常に良好になるのに。

みなが理屈ばかり述べて。

正しさを間違いにしてしまう。

こうして人は愚者となった自分にさらに理屈を探し求めて。

説明を繰り返す。

簡潔に言い表したソロモンの箴言。

伝道者の書とは真理を記した箴言なのです。



歴代の天皇は祀られています。

それを見ていると。

イエス・キリストも説明できるものですよ?

山上の垂訓で。

「裁くな」というのは「私刑」の一切禁止。

罪の結果として私刑を望む傾向があるのだと知られていました。

「裁くな」というのは具体的な「刑罰を加える」行為で。

好き勝手に他人に刑罰を加えてみたら?

弁解の余地は一切ありませんよね?

すぐ分かってしまいます。

本来の意味は。

全知全能なる神のみ正しい裁きが下せる。

人間は善悪の判別はできませんから。

無神論・無宗教の裁判は否定される。

ここまで解釈は広がるのです。

無宗教・無神論者は神に従わない。

よって。

正しい判決はできない。

法廷批判も含まれ。

要するに。

裁きは神に従い。

人は裁くな。

かなり深い教えと思われます。

イエス・キリストの箴言というのが真相なのでは。

パウロの箴言でもあるのでは。

艱難は主の用意したものであると間接的に記していますので。(聖書・次の文章に手掛かりあり)

希望は増す筈ですよ。

解読できるのは限定的で。

担当箇所以外はそうする積もりもありません。

以上。

何故か解読に成功した箇所となります。



クリスチャンによくある失敗。

神社は日本神話であり。

神殿ですので。

下手すれば単なる冒涜です。

あまり変な事を言ってしまうと。

主はあなたを叱責しませんか?

神殿を悪く言うのは。

有神論としては失格です。

同士討ちでしょう。

とても信仰心が厚いとは思えません。

異端は他の宗教を否定する共通点があります。

正統な者であれば。

神殿の批判なんてしませんよ。

神社とは日本神話であり。

ギリシャ神話と似ています。

何か言うよりは。

自分の宗教を重んじたほうがよろしいでしょう。

創世記の前半も。

本来は神話であると言われているので。

最初から共存可能な互いの宗教なのです。

ただし。

創世記は神話であると強調しますと。

他の説明が出来ないので。

普通は神話であるとは言いません。



プロテスタント「中川健一牧師」

ふたつの宗教に関わることはOKです。

しかし。

そのうち決断の時が来ます。

実際にQ&Aで語られていたものです。

私は「中川健一牧師」から学ぶ事をオススメしますよ。

専門ではありませんし。

でも伝道を手伝うくらいはできるのです。

カトリックの聖職者を神父。

プロテスタントの教師が牧師です。

キリスト教はイスラエルを起源に持ち。

トルコ沿岸からギリシアに到達。

聖典が定められ。

ローマ帝国の国教に制定されることによって。

ヨーロッパ諸国に広まりました。

歴史ある宗教です。



-オカルト対策-

スピリチュアルは宗教ではありません。

なのに宗教的なデマを載せています。

あれは宗教団体を設立しようとしていますよきっと。

スピリチュアルは「アガペー」を人間が与えられると誤解して。

意味不明な妄想にふけっている。


インターネットでは偽宗教がたくさんあるために。

観覧してはいけません。

霊能者は口寄せを行う占い師の事を指していました。

いまでは廃止されています。

預言者は旧約聖書の著者であり。

現代では実在しないようです。

神の言葉を預かる者でクリスチャンでは無いのなら。

有り得ないことです。

終末思想を取り扱うのは危険です。

ヨハネの黙示録の末尾に記されているからです。

正教かどうか確かめてください。



言っておかなければならない事があります。

ノンクリスチャンに聖書の解読能力は無いという真理です。

従って。

私にあるのは聖書の理解能力であって。

解読能力は限定的なのです。

ノンクリスチャンに聖書の解読能力は無いという真理はお忘れなく。

ノンクリスチャンが聖書を使うときには用心せよ。



愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。

(コリント人への手紙I 13:4-8)


いっさいのことを愛をもって行いなさい。

(コリント人への手紙I 16:14)


他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

(ローマ人への手紙 13:8)


平和を保ちなさい。

そうすれば愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

(コリント人への手紙U13:11)


アガペー。

フィリア。

ストルゲー。

エロス。



-大天使ミカエル-

うっかり召喚してしまい。

謎の霊体を目撃。

すぐに助けに来てくれる話は本当でした。

目撃者。


プロテスタントの支持をしておりますが故。

教義に合わせている積もりですが。

おそらく間違った記述があるかもしれません。

プロテスタント的に有り得ない解釈が存在する可能性があります。

なお。

「統一教会」「モルモン教」「エホバの証人」とは関係ありません。

スピリチュアルという宗教モドキとも関係ありません。



quo vadis domine? (主よ、どこへ生き給うのか?)

キリスト教がローマで大迫害された時。

ローマから逃げ出したぺテロが。

道でむこうからイエスが歩いてくるのを見て言った言葉とされる。

此の後イエスは「ローマへ」と言う。

キリスト教はローマ帝国で国教に指定されたものの。

ローマ神話の多神教が既に根付いていたので。

一神教のキリスト教とは相性が悪かった。

従来の信仰と軽く対立しつつ。

浸透し。

今では共存している。

ギリシャではギリシャ神話は学校で習うほどで。

こちらも共存している。

神話について語らないのは日本くらいなもの?



ローマ教皇。

現代の神権政治。

カトリック教の総司祭であると伺っております。

イエス・キリストの代弁者。

代理であると聖職者は言いました。

ちょっと知っておいたほうが良さそうです。

情報というものは正統な機関や人物から提供されたものでなければ。

的外れが普通なのですから。

聖職者も原罪からは逃れられない?

不祥事はあるようですが。

真摯に向き合っている教会ですね。

原罪の力で罪を強いられるのかな?

ローマ教皇については。

正統な情報から知ることにしましょう。



聖アクィナス。(哲学者・スコラ哲学)

神はすべての創造主で。

人間は被造物に過ぎない。

物質は肉体のため。

肉体は霊魂のため。

人間は神のために存す。

-トマス・アクィナス。


聖アウグスティヌス(神父)の言葉を引用。

「信じる」事は「知る」とは違います。

「信じる」と「知る」は似ているようで根本的に違います。

本当の事を知ってしまったら。

信じるという暗闇を抜けたら?

「神」を信じた末に「神」を知ってしまったら?

-ローマ教皇はイエスの代理である-



聖人の発言は聖書の補完。

殉教者キルケゴールや。

ローマ法王(教皇)の発言も例外とはしない。

以上。

正統派牧師と神父で議論して欲しい。



蛇足になるけれど。

キリスト教はギリシャ到達時に。

従来の哲学者と衝突し。

これらを統合しなければならない義務が生じた。

その中からスコラ哲学が発展。

こうした融合を得て。

ローマに辿り着く。

国教に指定されたキリスト教であったが。

そこでもローマ神話と共存が求められ。

その末にヨーロッパの基本になった。

日本でも同じことで。

かつてのギリシャ神話「アルテミス神殿」について。

パウロは言及しなかった。

むかしあったことが日本でもある。

いずれは統合されるか。

相互理解が必要で。

お互いの神の御名を貶めないようにしたい。

そこで重要なのは。

異端邪説の指摘と。

正統派同士の議論である。


※改宗した時点で解読能力を失っています。

※限定的な理解能力は健在です。

※正統派牧師さんが説くように私も唱えただけです。


改宗したのに。

私は何故か原罪の免罪符を持っているようで。

どうやって貰ったのかなんて教えないが。

カトリック・プロテスタント両方と馴染むので。

どこかで縁があったのかもしれない。

所属は神道だけれど。

未だに主の御力を一部使用できたり。

聖書の解読能力がそのまま残っているので。

さっぱりわからない。

親交が未だに続いていることは正直に申し上げる。

子供の頃に聖霊が既に心に住んでいましたので。

それが以前なんであったかの証明になっていて。

私の地域には異端者が大勢いたのもあって。

教会には近寄らせなかった。

改宗後は友人のようにクリスチャンを見ていて。

所属は違っても。

関係はそのままなのです。


祈り。
改宗前「人はあなたを裏切っている」→「霊感が強く出る」→「改宗せよと命令される」→「最初から改宗すると知られていた」

何もせずにただ祈るばかりの者たちを、幸運ははねつける。
(オウィディウス)変身物語第八巻73。