文学。
@自然科学・政治・法律・経済などの学問に対して、純文学・哲学・史学・倫理学・社会学・言語学などの総称。
A想像の力を働かせて、思想・感情を言語・文字で表現した芸術作品。詩歌・小説・随筆・戯曲・評論など。(同)文芸。
B詩歌・小説・戯曲などを研究する学問。
-文学史。
文学の発達・展開のあと。文学の歴史。また、それを歴史的に研究する学問。
-文学者。
@文学作品をつくる人。作家。
A文学の研究者。
-文学少年。
@作家をこころざす青年。
A文学的雰囲気を好む青年。
純文学。
(文)
@広義の文学に対して、詩歌・小説・戯曲などのように美的情操に訴えるもの。
A純粋な芸術をめざす文芸作品。
(対)大衆文学・通俗文学。
大衆的。
庶民向きであるさま。
大衆文学。
(文)大衆をおもな読者とする通俗的な文学。
(対)純文学。
通俗。
@世間一般。世間並み。
Aだれにでもわかりやすいこと。一般向き。大衆向き。
通俗小説。
文芸的価値に重きをおかず、大衆の娯楽を主眼とする小説。
通俗的。
@俗受けのするさま。-通俗な映画。
A低級なさま。くだらないさま。
-散文。
定型や韻律を持たない普通の文章。⇔韻文。
-散文詩。
散文の形式で書いた詩。
-散文的。
@散文のような趣であるさま。
A詩情に乏しいこと。平凡で面白みがないさま。⇔詩的。
「岩波国語辞典」
(注)現代文学は散文的なので面白くはない、平凡過ぎて駄目。
文学は、人間が堕落する度合だけ堕落する。
「格言と反省」から(ゲーテ格言集)
鳥なき里(島)の蝙蝠。
鳥のいない里では。
コウモリが鳥に代わって大きな顔をしている。
すぐれた者がいないところでは。
くだらない者が威張っているということ。
「出」毛吹草。
「類」鼬無き間の貂誇り。鷹がいないと雀が鷹をする。
ニヒリスト文学なんてナンセンスだなあ!!
検索。
「小説・ラノベの衰退する未来」と「今後の時代における作家の苦境」について。
説明。
反ニヒリズムであって。
反ニヒリスト文学であるのが。
私の作品群の本質というもの。
ニヒリストにはまず受けませんね。
ニヒリズムを否定して書かれていますから。
ニーチェはニヒリズムに陥った状況を宣言した人で。
悪く言わないほうがよろしいね。
ニヒリズム文学は下品でグロテスクだったり。
半分ハデスに焼かれているような作品が多くあります。
ニヒリストには理解できないので。
反ニヒリズム文学の真価は認識問題と化しました。
客観的に観るとなんでしょう?
自分でも分からない。
古典文学は。
現代のように。
十万文字が必要とか。
そういう規格は持ちません。
根拠無根な十万文字指定とか。
文学について知らないようです。
ニヒリストは「こんなのが文学なんじゃない?」なんてノリでやっているので。
結果論として。
正統性と根拠において。
古典を引用すると。
どうやら私に分があるらしい。
小説の書き方は単純です。
小説を読めば自然と書けるようになりますよ。
文学は芸術作品。
シェイクスピア小説を読めば良いでしょう。
文学で必要なのは合理性です。
物語と小説は違う性質を持っていて。
物語は物語を読めば描けるようになります。
どれもお手本が必要です。
ライターズ・ブロックという心理状態があります。
一種のふるいにかけて。
適さない人を落とすようにされたのでしょう。
小説家を仕事にできる人は。
存在の造りが違うため。
ライターズ・ブロックに陥らず。
またはそれに勝つことができます。
ライターズ・ブロックは。
学問の神様の神社に参拝しますと。
自然に解除されます。
神様から神聖なスピリットを頂いて。
それによって書かれているようですね。
事実は小説よりも奇なり。
文学の世界も。
このような構造になっています。
小説は国語の点数が最高点なら。
普通に書けます。
小説は難しくはありません。
自分に向いていると思ったら。
お試しあれ。
好きこそ物の上手なれ。
餅は餅屋。
その道のことは、専門家に任せるのが最善であるということ。
「ことわざ辞典から。」
「スロウスタート」という漫画を読ませて頂きましたが。
名実通りの良作でした。
この漫画を評価した人は。
根拠がある評価を入れています。
なぜ?
芸術面において美的な所が各所にあったからです。
全体的に優しく幸福に満ちたタッチは驚く事がありました。
重箱の隅をつく。
は無しにします。
ゲーテの「ファウスト」はほとんどが詩文で構成されており。
とてもじゃありませんが敵いません。
「素人が凄い!と思ったものが本当に凄い」
という意見もありますが。
言い得て妙ですよね。
玄人に認められないと。
そう。
肝心なのは玄人の賛美です。
「異世界モノ」は有名無実でした。
狭い井戸ですね。
なぜ酷評するか?
まず異世界モノは芸術的センスがゼロに等しく。
文章としても欠陥が見られます。
カクヨムが有名だそうですが。
すべての作品に芸術的なセンスは皆無です。
文学は散文で示される芸術作品ですから。(国語辞典)
定義に入っていない時点で凡人の成金だと思います。
つまり。
文学は特に。
芸術として忠実なのかが問われていますよ。
孔子の言葉。
「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」(雍也篇)
現代語訳:(これを理解しているという人はこれが好きだという人に負ける。これが好きだという人はこれを楽しんでいる人に負ける)
解説:
一生懸命やっていても義務的にやっているなら。
それをすることが好きで好きでたまらない人や。
それをすることで幸福感を味わっているという人には敵わないということ。
何事も好きで楽しんでやることにまさるものはない。
さて。
日本文学の現在の有り様は。
世界に比べて低レベルですよね。
衆愚の多数決で決められた場合がもっとも最悪で。
玄人のチームが太鼓判を押したものが歴史に残ります。
よく。
芥川賞が馬鹿な評価だとか言われているようですが。
あれ以上のものが無いため。
目の肥えた人々が先を越してしまったのでしょう。
芥川龍之介程度で満足ですか・・・。
作品が公にされると。
ほとんどの場合。
目の肥えた人々の目に留まり。
様々な事実や意見を受けるでしょう。
玄人の意見は信憑性が高く。
きちんとした根拠に基づいています。
異常によいしょされた作品があっても大丈夫です。
安心してください。
一過性です。
5年もすれば居なくなります。
考察の結果。
きちんとした大人の方が「凄いな」と思うものが。
本物のようですね。
良識ある人の意見が最高のものでしょう。
評価のされ方はまさに天運ですね。
むかしは物語を書く名手がたくさん居らして。
平安時代が特に強力でしたね。
現代語古事記があるように。
現代語物語として出せばいいのになぁ。
平安時代は物語を書く女性がたくさん居まして。
時の権力者が天皇が物語好きだと知って。
政治利用したほどです。
紫式部と菅原孝標の娘が有名でした。
現代人の力は歴史上の偉人に比べると非力です。
「女の子が主人公」というテーマは。
人の理解が及ばないようです。
未だに古典的な男性優位主義を引きずった現代人にとっては。
仕方がないでしょう。
私の技能不足ではなく。
時代の遅れから来る軋轢でした。
芸術とは美の表現なのですから。(国語辞典)
正直。
凡人が芸術作品(文学)を理解できるかは。
怪しい所ですね。
もっとも。
多くの人は自分が凡人であると妄信しているようですが・・・。
大人の方は豊かな見識と。
充分な教養があり。
常識的で。
良識さえ持っているからなのです。
意外と彼らのレベルは高く。
漫画雑誌ともなりますと。
みな目の肥えた人々なので。
あとは天運となるのです。
玄人が認めた作品は歴史的なもので。
自称玄人が判断したものは稚拙な事が多い。
自分への評価が理にかなっていると感じたら本物です。
評価基準で公正で的確なホームページを発見致しました。
なるほど。
餅は餅屋ですね〜。
検索。
【コラム物語論】物語の評価基準について考察してみたよ
凡庸な人間は自分の水準以上のものには理解をもたないが、才能ある人物はひと目で天才を見抜いてしまう。
「シャーロック・ホームズ」出典:恐怖の谷。
訳:人の才能を見抜くのも才能が必要。
文学で不思議なこと。
ノーベル文学賞受賞者で。
賢人でもあるヘルマン・ヘッセは。
「あいつら今日の天気がどうだとか。」
「いま財布にいくら入ってるだとか。」
「そんなもので評価を決めるんだぜ。」
と愚痴を言っていた。
「いまでしょ!」の林先生は。
出版社から。
勉学の本を出してくれ。
と依頼されて。
最初は書きたくなかったが。
嫌々書いたらベストセラーになった。
書きたいものを書きたい!と寿司屋の本を書いたら。
全く売れなかった。
注釈。
小説家は「依頼執筆」と「自分で本を売る」の二択があるそうですが。
書きたいものだけ書いても売れない事もあり。
書きたいものだけ書いて売れる時もある。
結構な不思議。
小説を書くには?(簡潔な説明)
@おはなしの設計図を作成します。
A具体的な指針を決めます。
B考えて書くよりも筆に任せてください。
ポイント。
@合理性を保っている作品はレベルが高い。
A模作となる作品が存在しないと発案ができない。
B書ける時に書く、書けない時は書かない、毎日更新などと考えると泥沼化しやすい。
奥義。
@筆が貴方を呼んだら、筆を取って、筆に任せるだけで良い。
A創造性は神秘的なもの。
B自分を主体にすると失敗の素。
国語辞典。
才能。
物事を理解し実行する力。
才知の働きと能力。
腕前。
この説明ですと。
ひとつの力でありますから。
鍛えないと才能の在り様が無いわけです。
力を付けないと才能の在り様が無いわけです。
よって。
努力や鍛錬の結果として力が付くものであり。
天才の多くはそれに気づかず。
ラッキーに甘えて堕落してしまい。
本物は自分の才能を伸ばしていくので。
金メダルを取れるという仕組みなのですよ。
少々高慢に振る舞わせて頂きます。
理解できましたか?
小説家でも。
@職人タイプ。
A芸術家タイプ。
とあるようで。
職人タイプはある程度自分が主体で物を書けます。
作品を自由にたくさん書けます。
芸術家タイプは技能に優れる反面。
自分が主体で物を書けません。
あまり作品数には恵まれないようです。
研究結果として出ました。
参考に。
ことわざ。
思想がないのに文章を書こうとするのは、銀行に残高がないのに小切手を書こうとするようなものだ。
-余談-
ユダヤ人ってユダヤ教を信仰する人のことだとか。
いろいろ言われています。
よくわからない。
文学の「かなめ」は「思想」なのです。
思想が不足すると。
どうしても描けません。
しかし。
思想が満ち足りていれば。
その分だけ描くことができる。
文学には思想が必要です。
職人タイプの人は。
思想の制約を受けません。
人もいろいろ。
いろんな人が居ますので。
無尽蔵に書ける人の方が割と多いのです。
アート系の人に思想の制約はあり。
そういう人は。
プロになるのは簡単ではない。
文学は思想が要であると知っておいてください。
現実に無尽蔵に書ける人が居たからです。
大抵の小説家は無尽蔵に書けるからですね。
それで。
無限に書けない人を見て発見しましたです。
アマチュアで多く見られ。
プロではほとんど見られません。
自分が職人タイプかそうでないか。
すぐにわかってしまうでしょう。
研究でもたらされたものです。
的を得ているといいなあ。
奥義を教えてあげますよん。
発想はゲームや漫画。
小説から映画まで。
歴史史実を参考にしたり。
絵本まで取り入れる。
ジャンルを問わず。
発想を手に入れるのです。
こうして贅沢な創作レベルは貴方の手中に収まる。
そういえば。
私の小説って。
漫画から発想を取り入れて。
ほぼ模作のような描き方をしていました。
模作は小説の基本という日本作家の言葉もあるように。
異なるジャンルから発想を持ってくる。
これは基本的な事なんですねー。
哲学「Ilmeria」
@自身の才能の発見。
-向き不向きの区別。
-発掘による。
-才能の捜索。
-知恵を用いる。
-なんでもやってみる姿勢。
A鍛錬と努力。
-才能の初期値の確認。
-自分のオリジナルのトレーニング。
-ヒントの収集。
-武者修行の実行。
-限界の突破。
B力と実行。
-過信しないことによる実行。
-自分の力の肯定。
-正しい使い方。
-力の強弱。
-自己流に絞る。
-我流の確立。
以上。
才能の哲学「Ilmeria」
臨機応変。
その場その場で、状況に応じた適切な手段をとること。
-プラトン-
哲学は、最高の文芸なり。
-プラトン-
無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂の中に残りはしない。
-アリストテレス-
少しも狂っているところがない天才などいない。
-アリストテレス-
芸術が目指すのは、ものの外見ではなく、内にある本質である。
起承転結。
漢詩の絶句における構成法のひとつ。
転じて。
文章や物語の展開。
物事の組み立てを言う。
(説)
まず始まりがあり(起)
次にそれを受けた部分が続き(承)
内容が大きく変化し(転)
最後に結論、結果がある(結)という構成。
類語に「起承転合」がある。
文学ならこの作品を読めばよく理解できるかと思います。
日本文学は傑作が少なく。
一部を除いて有名無実と化しているようです。
「シェイクスピアを知らない者は文学が出来ない。」
ノーベル賞。
その年に人類の為にもっとも尽くした人に贈られる賞。
人類の為に大きな貢献をした人に毎年賞を与えるもの。
ノーベル博士の父親は機雷を発明。
クリミア戦争で実戦投入され。
連合軍がその威力を見て逃亡しました。
ノーベル博士はダイナマイトを発明していましたが。
人造ゴムや人工宝石まで。
350以上の特許を持っています。
ノーベル博士は平和を願うようになり。
平和運動を見たりもしていましたが。
平和についての考え方は違っていました。
ちなみに。
ノーベル博士は困っている人の為にお金をよく使い。
父親を失って困っている少女を。
花屋の店員にしていたり。
親切に溢れていました。
そういえば日本でも。
1968年ノーベル文学賞を贈られた。
「川端康成」1899〜1972。
という人が居ましたね。
この人の作品見てみたい。
世間では芥川賞だとか。
直木賞だとか。
話題もちきりですが。
世界を知らないのですね。
彼らには失望しました。
文学については研究もしていますが。
100パーセント正しい事は誰にでも書けませんので。
その辺りはご了承くださいまし。
ノーベル博士と同じく。
私は平和についての考え方が。
世間の風潮とは違います。
反対者には恵まれるでしょうが。
平和についての考え方は。
世間とは違います。
しかし本当に正しければ反対意見など容易に制圧できるようだ。
確かに国語辞典では「文学とは芸術である」と定義されています。
彼らは分が無いんです。
文学とは芸術作品であるので。
美しくない作品などは作文に過ぎない。
これが私の見解です。
これを知らない時点で文学はできっこないです。
彼らの負けです。
小説家になるには?
どこかに応募があるはずです。
しっかり鍛錬してから行くべし。
とある作家は永延と没原稿を貯めて。
1発でもヒットすれば。
立て続けに本を出版して優位になりました。
没原稿をどれだけ書いたかが勝負なんだとか。
月刊誌とか読んでみると。
一か月なにしているんだろうと興味がある。
アマチュア作品でも書いておけば鍛錬になり。
連載作品に活かせますし。
書籍化される可能性もあるし。
地位を高める点においても。
プロでやっているのなら分が有り過ぎでしょ。
小説家になりたいのなら。
応募して競争で真正面から勝つだけ。
けっこう分がある賭けを毎回やるのです。
簡単かもしれない。
武者修行。
才能ですか?
みんな生まれ持った才能で勝負しようとしますね。
生まれ持った才能を活かした人だけが勝利を手にします。
才能才能言っても。
トレーニングしなければいけません。
武者修行とかしないじゃないですか。
それが原因です。
サムライ・トレーニングこそ才能の秘伝。
山岡鉄舟殿がお手本です。
一日200試合の練習試合を申し込んでいたという。
幕末。
山岡鉄舟殿は交渉で。
要求を突き付けて。
西郷隆盛は折れてしまった。
そのくらいやらなければ。
中途半端な事やっても勝てませんよ。
それを知らないから才能才能言うんです。
生まれ持った才能が低ければ終わりじゃないですか。
そんなことはないでしょう。
むかしの人はよくやっていましたよ。
武者修行。
仮に私が本物であるならば。
大衆がいかに間違っているかは明白。
私が仮に本物であるならば。
彼らはやられる為に登場したことになります。
そうなると彼らは負ける為に舞台に上がってきたのです。
芥川賞とか異世界とか。
賛美を受けていても。
それは外国の文学を読むまでのはなしですからね。
まともな文学を読んだらそんな事は言えなくなります。
私の文学は哲学の文体。
比較には不適切。
芸術への理解は文化的には大切。
マギアレコード。
少なくともこれ以上のアニメ作品は現時点で存在しないことを。
認めなくてはならない。
単行本コミックスで二巻まで読んで。
ストーリーの浅さに感づいて。
もう辞めようと思う。
基本的に超自然的な存在と戦うだけなので。
要素が軽過ぎましたのです。
感情論で「これは凄い物である!」なんて定義付けてもくだらないよ。
でもこれを書いているうちに。
私は批評を辞めようと思いました。
その手の得意な人に任せたり。
ちなみに言いますと。
私の支持する「ラブライブ」も作為的に「幸福」のタッチを強調しており。
無暗に出し過ぎている感覚が酷い。
それは欠点のひとつで。
多くの長所を無視した書き方なんですが。
批評についてはしたくありません。
完璧な作品は有り得ない事を知っています。
まどか☆マギカは変にハッピーエンドにするよりは。
思い切って悲劇にしちゃうのが抜群だったのでしょう。
それ以上の作品なんて同時期に存在していなかったのも本当の所。
批評なんてどうせ完璧な作品は有り得ないんだから。
私情よりも何かの功績や価値などの正しい見解を探るべきで。
まどか☆マギカは惜しいと思っとります。
妄評はアニメや漫画あるある。
漫画ワンピースとかも含めて。
これがあるからそんなことが言える。
無かったら何も言いようがない。
無ければ困るものがあって。
要求を満たしていればなんでも良かったのです。
批評もそれがあるから出来るもの。
アニメあるある。
嫌なら観るな!
いいえ。
公になったものを。
嫌なら観るな!というのは。
放送しなければいいだけの話でしょう。
嫌悪されるものを放送するから非難があるので。
そんなもの放送しなければ発生しません。
一畳間まんきつ暮らし!
最近読んだ漫画でいちばん良かった。
18禁作画を専門とする作家さんが描いたんですね。
女の子しか登場しないから大丈夫だけれど。
田舎娘がたまらない魅力があった。
キャラクターかわいい。
時折出現するよねこういうの。
AKB48は黄金期を終えて新世代編がスタートしておりますね〜。
ラブライブも新世代に突入。
書き手が不足しておりますよ。
必要水準を満たした芸術家が不足しております。
これから増えるでしょうが。
経済の次は文化になりますかね?
アイドルは現時点で女性の華型職業と言えます。
みんな何を文学の根拠としているのですか?
無いですよね何も。
世界史に載るような「ファウスト」も中々好きですし。
シェイクスピアは読み易くて本物でした。
本当にみんな何を文学の根拠にしているのですか?
それによって素人か玄人か判別できるのですが。
シェイクスピア。
事件。
又は出来事があって。
前者は事件発生から終息まで。
後者は到達点に至るまで。
小説の構造はシンプルかつ。
古流のお手本になっている。
私の小説も全く同じ構造を持つ。
というのも。
内容はもとより。
小説の構造や作法を分析し。
合わせたのであって。
設計思想が簡単で見破りやすく。
他人が加筆を可能にしている点など。
現代・日本の規格には適合せず。
当時の規格に忠実であるので。
シェイクスピア学者のような別格の評論家でしか。
本質に語り得ないのではないかと。
思っている所があるね。
優れた芸術家は自分の作品に満足しない。
これは世界的に度々例があります。
ブラームスの交響曲第1番の難産についてもしばしば語られる。
ブルックナーやマーラーの交響曲にはしばしば改訂に改訂が加えられ。
どの版で演奏されるかがファンの大きな関心になるほど。
どんな偉大な芸術家も自分の作品に完全に満足することはない。
おまけに。
理想的な完全性を目指す芸術家は。
いかなる状況でも。
そして困難困苦の襲撃でも。
他人の不正によっても挑発されず。
党争の激しさにも混乱せず。
戦争の苦難と棄権によっても心が挫かれない。
そこまで言い切っているひともいるのです。
芸術家は自分の作品に満足しない存在であると。
私自身自覚があります。
南米の強豪「クルゼイロ」
選手育成の哲学に秀でており。
いかに良い選手を育成して欧州のクラブに売るか?
書籍を読んだときに資本的な戦略であると感動していた。
良い選手を育成して売れば収益が多い。
しかも安定して高収入を得られる。
売り飛ばされた選手は能力値が高く。
強いクラブに入るので。
タイトルを得られるチャンスがある。
持ちつ持たれつ。
現代は作家でさえ使い捨てにしているような雰囲気がある。
それではコンテンツ消費速度が異常に早い。
きちんと育成して大量に人材を確保すれば。
安定して作品を提供してくれるのではないか。
資本家の戦略はクルゼイロがお勧めです。
読み物として優れている程度では価値そのものがない。
価値がない文学ばかり。
評価なんて素人が付けるもんだから。
素人に哲学的価値・歴史的価値・学問的価値は理解できない。
才能がない素人なんだから。
「読み物としてだけ優れている」小説を大量生産してもねぇ。
大衆に評価を委託したり。
大衆に評価する権利を与えるのは駄目ですよ。
なぜなら大衆は常に間違うからです。
同工異曲。
大衆文学はどうしても俗受けして。
大衆の支持を得るので。
人気になり。
こうなると通俗文学がランキングを独占することになります。
アニメやドラマでも同じく。
大衆は常に間違うから。
大衆に評価の権限を与えるのはナンセンス。
作品。
どんなものにも完璧であると装ってしまう悪癖があり。
現代で多用されている自称完璧作品。
それがみんな気に食わない。
でも完璧な作品なんて無理ですし。
はじめから不完全に書けばいいだけで。
好きな作品があっても欠点が背後に実在するのが見えてしまうため。
そんなものだと思っている。
なので私はそれを見て。
わざと不完全な作品を描くようにしたのです。
むかしは「天才」とは「任務」であって「公義」の為に存在した。
現在は単なるアドバンテージに過ぎず。
何の努力もなしに獲得した能力で優位性を保たれ。
妬みを買ってしまうのだと思う。
たぶん。
現代の天才たちは妬まれる事になるだろう。
強い才能というのは「公義」の為だけに使用するものですから。
自分の為に与えられた才能を行使すれば。
多くの人に妬まれても当然の事だろうと思うが・・・。
同じセリフでもひとによって違いが出る。
人気者のセリフを他の人が言うと全員が無視する。
解釈が違うからね。
人気者のセリフは良い意味で解釈されるが。
そこら辺の奴が言うと批判的に解釈される。
それと同じ現象。
解釈が良ければその人は理由もなく好かれたり。
人気が出る。
解釈が悪ければその人が理解されない。
ほとんど良い解釈をするか悪い解釈をされるか。
この現象を「作者の死」と呼ぶけれど。
そうやって人気を獲得する者は確かにいるし。
反対に本物が人気を獲得している場合もある。
いろんなものが混ざっているので。
なぜそうであるかを判断しなければならない。
ひたすら悪い解釈ばかりされて。
落ちこぼれた人を知っています。
反対に良い解釈ばかりされて。
楽になり過ぎて努力できなくなった落ちこぼれもいる。
解釈ひとつで人間の価値が決まってしまうのは。
ちょっと卑劣なものでしょうが。
それが普通にあるのはみんな我慢できないもので。
解釈の違いで正否が決まるのなら大変です。
とても不可思議な現象を発見している。
贔屓の引き倒し。
ひいきも度がすぎると、その人のためにならないこと。
むしろ、害を及ぼし、悪い結果を招くことが多い。
(類)贔屓のひっころばし。勾張り強くして家おし倒す。
(英)親切が殺す。
批評家がシェイクスピア現代訳の後ろに。
考察を書き記しているが。
物語として辻褄が合わなかったり。
スペルミスが度々あるなど。
指摘がある。
どこをどうしても小さな破綻は避けられない。
文豪でもそうなのだから。
他の文学人はなおさらですよ。
異世界モノでも。
芥川賞でも。
なんであんなものが売れている?
なぜあんなものが人気?
お答えします。
答えは簡単。
通俗的な作品が大好きな連中がいっぱい居るのです。
え?あんな下らないものが?
その下らないものが大好きな大衆が多数派なんです。
みんなあんなものが大好きで仕方がない。
文芸学として。
我流は辞めたほうがいいです。
古流の形式・様式が実在しています。
我流は最弱なもんで。
西洋では盛んに創作されるうちに。
特定の形にまとまった文芸の種類が豊富にあり。
そのような形に合わせると上手になれますね。
現代では自然文学が主流で。
現実をありのままに書きたがる傾向にあるみたい。
作家として就職を目指すのであれば。
古流の形式を一通り学んでおき。
執筆に活かすのが素晴らしい展開かな?
源氏物語は古本屋で売っていました。
全巻熟読すれば。
長編ですので。
なんとなく把握でき。
依頼執筆にも本を持ち込むにしても。
私の見解としては通用する筈です。
文芸学として我流は不利になるでしょう。
本格的に小説家の職業に就職するのなら。
応募して採用されないと駄目。
大衆文学は有利になる傾向があるが。
長くは残りません。
応募もいくつかの会社が多数行っていて。
一年にかなりの数がありますね。
応募して採用されても。
依頼執筆。
自分で書いた本を売り込む。
二種類あると情報を得ています。
依頼執筆ですと。
自分の書きたいものは書かせて貰えないかも?
自分で本を持ち込んでも採用されるかは別の話で。
そんなに簡単な仕事では無さそう。
私ですか?
芸術史上主義から文学を嗜んだので。
美しさを表現できれば目的は達成で。
売るかどうかは考えていませんよ。
もしその作品の優れた点を的確に。
芸術的にどうだとか。
哲学的だとか。
こういう点が優れていて。
素晴らしい。
そういう理由をたくさん述べられるのなら。
その作品は本物という意味になりますよ。
凄い!なんて評価は評価なんて言えません。
でも。
素晴らしい点を学術的概念で。
論文形式で発表できたら。
その作品は本物だという証拠になります。
世の中。
本物はけっこうあるもので。
捜し出すのはその道の通の技。
本物を知れば見えてくるものがある。
偽物に引っかかれば盲目です。
投稿サイトは直接民主制。
我が国は間接民主制なので。
おおいなる矛盾がある。
大衆の多数決ですし。
投稿サイトに作品を置きたくはない。
直接民主制ということは。
大衆文学が有利である。
衆愚が決めてしまうのは最悪。
自分が衆愚のひとりだと思っていない連中ですし。
間接民主制では有り得ない体制である。
その時点で既に終わっているのだが。
投稿サイトは素人の集まりなので。
私のような玄人にとっては居場所は無い。
直接民主制さえ無くなればいいけれど。
子曰く、衆これを悪むも必ず察し。
衆これを好むも必ず察す。
-孔子-
大衆に嫌われている人と言っても。
どのような理由で嫌われているのか判断しなくてはならない。
同じように大衆に人気のある人でも。
ただ迎合されているだけかもしれないので。
判断しなければならない。
孔子の言葉を引用。
人気作品について。
どのような理由から支持されているのか。
どのような理由で好かれているのか。
どのような理由で人気なのか。
判断しなければならない。
反対に嫌われていて評価が低くても。
酷評されていても。
どのような理由で嫌われて。
批判されているのか判断しなければならない。
人気=凄い。
というのは判断ではなく。
どのような理由で人気なのか。
ただ迎合されていて。
気に入られただけかもしれない。
人気が無くても。
どのような理由でそうなっているのか。
判断しなければならない。
もしかしたら理由もなくそうなっているのかもしれない。
理由をきちんと述べられるかもしれない。
人物についても。
なぜ好かれているのか。
芸能人も同じく。
なぜ嫌われているのかも判断しなければならない。
理由がないかもしれない。
それは迎合されているという意味で。
判断しなければならない。
-論語-
作家はデビューしてからが大変。
とにかく「本」を制作する職人なんですから。
売れなければ廃業になってしまいますし。
何作か出していくうちに。
脱落するリスクがありますよ。
作家デビューする人数はそれなりに多いのですが。
本を出していくと。
どんどん数を減らしていきます。
生き残れる作家は一握り。
多くの人は出版やデビューという夢を見ますが。
実情は職人としての地位ですので。
就職してからが本格的な営業になるもんです。
とにかく。
どんな本も制作できて。
書くことに関して無尽蔵に出来る。
いくらでも執筆できるよ?なんて性質の持ち主が向いていて。
歴史上の偉人は職務の片手間に出版などを重ねていたもので。
本業で功績を得た小説家は少数派なんです。
まず職業適性などを自分で把握したのち。
いくらでも書けますよ?という人は専業作家になれる確率が高く。
ずっとは書けません!という人は片手間に書いたり。
自費出版などで一勝負するくらいしか出来ないもので。
それでも例外として「ゲーテ」の「ファウスト」は20代で第一部。
晩年に第二部が制作されて完結。
ワイマール公の宮廷顧問官として活躍しつつ。
片手間に書いて世界史に掲載されたものですから。
抜け道はあるにしても。
本業として小説家をするのであれば。
ふるい落としは覚悟してください。
場合によっては。
片手間に執筆して出してしまうほうが。
結果が良い場合もありますし。
作家でも。
没原稿を大量に作成し。
所持していたので。
それを原型にして。
成功作を連発できたり。
いろんな奥の手があるもので。
歴史的に観察しますと。
甘い世界ではありませんが。
難しい世界でもありません。
先にデビュー後の事を考えてから。
戦略を練りましょう。
場合によっては。
投稿サイトで大人気。
でも二作目を書いてと頼まれたら何も出来ず。
二作目から三作目で売れずに切り捨てられる展開が多いようですし。
応募してそのままお抱えになれた作家もいるようで。
まずは偵察してから。
臨機応変に練っておきましょう。
文学と宗教が融合しますと。
アミニズム化して。
ミューズの女神と聖霊ジーニアスが来てくれたり。
なんだか凄い事に。
宗教なしに文学は無理であると。
体験としてはあります。
ドグマ。
教条主義。
物事の判断に何の根拠を求めず。
独断のみでやってしまう態度。
歴史的価値・学問的価値。
これが芸術の評価を決定するもので。
あとの言葉は本来の価値を事実そのものに話すか。
的を得ていなければいけない。
歴史的価値・学問的価値が評価の基準です。
芸術の本場ではこの評価が適用されており。
私には容易に理解できました。
どうも日本のアニメは個人的な感情に訴えているものが大半で。
文化・学問的価値は皆無ですよ。
歴史的な価値は無いと思います。
最近のアニメの傾向は特にそうです。
ひたすら「感情論」これに尽きます。
作品の評価はいろんな見方があっていいはずです。
倫理において素晴らしい。
学問として考えさせられる。
こんな事を解き明かした。
ビジュアルが綺麗で美術的だ。
こんな建設を達成した。
何かに忠実で賢明だ。
時代を代弁している。
など。
私の文学は「問い」から成り立ちます。
作品には固有の価値があって。
それを的確に説明するのが評価と言えます。
素晴らしいから。
感情論によって「この作品は傑作である」と定義するのはさすがに愚かなことです。
作品には本来の価値があり。
それをただ説明すればいいのですから。
そんなに簡単な事なんです。
「幸運の女神は、自分が大いにひいきにするものを愚かにする。」(プブリウス・シュルス)
ユーの文学は美しくアリマセンネ〜♪
有識者の格言(NHK知恵泉)
評価と価値は違う。
結局。
文学の何を知っている?
小説とはなんですか?
あなたの見解はどこから生じたのですか?
懐疑的ですなあ。
現代日本の文学作品は完璧主義で。
欠点を何も出さないので迎合されやすい。
完璧主義は支持されていない。
完璧主義が特徴の現代日本文学。
完璧主義は欠点。
天二物を与えず。
天は一人の人間に長所をいくつも与えるような不公平なことはしないということ。
才色兼備とはなかなかいかないものである。
最近。
娼婦のようなアニメキャラクターが多くて困った。
究極の美少女を描こうとしても。
ことわざ通りになかなかいかないものである。
文学も人工物。
人が作ったものには必ず欠陥がある。
人工物なので。
まずこの原則を知っていないと駄目だよ。
戯曲を描く時は。
人工物を造っている。
人が作ったものには欠点や欠陥は必ずある。
それをクリアするにはどうすればいいのか。
具体的な方法を編み出した人が本物なんだから。
文学も人工物だから。
自然由来の物には基本ならない。
素人の批評家はシェイクスピア学者を知らない筈です。
シェイクスピア学者は最強とのことで。
ちょっと国内を齧ったくらいで知ったかぶりは最悪。
ニヒリスト文学なんてナンセンスだなあ!!
芥川龍之介とか直木三十五とか。
立ち読みしたはいいけれど。
凡人であることは分かったので。
それ以上は読んでいません。
これは芸術と呼ぶにふさわしいのか?
そんな訳ないでしょ。
凡人が制定した凡人のための基準みたいで。
少なくとも。
知性があるのかないのか。
そちらの方が参考になるのですよ。
ギリシャ喜劇と悲劇の中で。
失敗作の中でよくあるような作品。
ギリシャ古典と比較すると。
平凡さが目立つ。
猿知恵が働いていて。
素晴らしい方でした。
二度と読まない。
大衆文学のお手本だと主張すれば。
通俗的でもその通りだと思われる。
ニヒリスト文学でしょ?
芥川龍之介と直木三十五はニヒリスト。
ニヒリスト文学はナンセンス。
芥川と直木は凡人の力作。
つまらない人間同士の愚かなやり取りが続くこと。
決して豪華ではないアイデア。
現実世界の世人による。
つまらない人間によるやり取りが続く。
芸術性に関して議論が必要なこと。
以上で賞賛に値する代物ではないこと。
異世界モノは都合が良い凡作。
無双プレイのeスポーツであること。
子供の考えていることをすべて詰め込んだ代物。
現実で大手柄は困難で。
空想の中に無限に思い描いた無限性の絶望の産物であること。
芸術性は無視。
結論としては絶望の一種であること。
その他作品。
人気を博したアニメや漫画には到底及ばないこと。
文学の領域は以上の要素でどうしても他に圧倒されて負けてしまうこと。
小説がつまらない?と思ったら以上の理由。
小説は人気ゲーム。
特に映画に対して勝てないという不利がある。
討ち破ったのは文豪のみで。
ほとんど劣勢に陥るので。
つまらないと言われて当然。
日本の文学賞は「芥川賞」と「直木賞」だけではない。
何故か芥川賞がピックアップされているのは。
文芸学者から見てナンセンスだと思われる。
私は文学で既に見返りを貰っていて。
文芸学者を名乗れるだけのレベルにも達している。
シェークスピアが分からないのは文学が分からないという意味になる。
アリストテレスが分からないのなら哲学が分からないという意味になる。
視野が狭くて残念です。
哲学では議論が中心で論破は目的ではない。
議論は正しい人とやるべきで。
愚者とやってはいけない。
正しい知識(真理)を議論するもので。
言い負かす目的では使わない。
尊敬する人の意見だからとか。
自分の意見にこだわったり。
都合のいいように議論を進めるのは間違いで。
真理に到達することだけを考える。
大切なのは自分の意見を通すことではなく。
ひたすら「真理」を議論するもの。
哲学は常に異議を受け入れる用意がある。
イデア論。
小説のイデア。
小説らしい小説とは?
これが小説だ!という小説を描こう。
それを目指しているのが私の文学なのです。
イデア論。
ソポクレス。
悲劇の王オイディプス。(オイディプス王)
ストーリーを拝見したら。
こんなのに勝てる訳ないでしょ!!
ギリシャ三大悲劇詩人。
アイスキュロス。
ソポクレス。
エウリピデス。
こんなのを普通に上演していたんだから。
こんなのに勝てる訳ないでしょ!!
務めて簡潔さを求めると、曖昧になる。
ホラティウスの伝統的な文体について。
「洗練を狙うと、力強さと気迫が失われる。」
「荘重さを表に掲げると、誇張におちいる。」
「簡潔」「中間」「壮大」
これらにはみな、こういう落とし穴がありますぞ。
アリストテレスは。
だらだらと長過ぎても、かといって、つめ過ぎても。
表現は明瞭にはならない。
いや、その中間がぴったりするのは言うまでもないことである。
ホラティウスは続けて。
「思考が走るためには、簡潔さが必要だ。」
常に言うべきことをぴたりと言い当てる適切な語を選ぶことによって。
不要な語句を省くことができる。
簡潔というよりは。
凝縮された表現という方がよいかもしれない。
しかしそれでも本人はうまく凝縮できたつもりでも。
はたの者にとっては。
何を言っているのか曖昧で読みづらい。
なんて言葉が続く。
創作論は古代ギリシャや古代ローマで古典がある。
セネカという人物と私の見識がほとんど一致するのは謎である。
図書館でセネカの言葉を読んだら。
自分と意見が一致しているようで。
謎であーる。
キケロとセネカの区別が未だにつけられない。
文法。
ゲーテは「詩的」という特徴がある。
シェークスピアは「劇場」という「会話劇」スタイル。
ヘルマン・ヘッセは台詞と情景を両立させたスタイル。
紫式部は水の流れのように「文章すべてを同化させる」スタイル。
伝記や逸話はほとんど史実なので省かれる。
我流の文法は未だに横行しているが。
誰が喋っているのか分からない。
説明文が多過ぎて冗漫。
テンポが良くない。
酷い不協和音と化しているので。
むかしからの文法を使用するか。
文法を習う必要があります。
我流は文章力はかなり良くなる傾向がありますが。
レトリックで簡単に撃破できるので。
強みはありません。
修辞学を習わないと文学は無理ですが。
反対に言えば修辞学を習えばほとんどの人が描けますよ。
修辞学が文学の基本。
文学は適性が物を言います。
他人の作品。
特に大人気であって。
自分が決して好きでは無い作品。
以上の条件に基づいて。
批評や批判を読み漁ってみると。
ヒントの山を発見する。
企業もこうした他社の批判を獲得して。
活用。
大成功したケースもあったりね。
あの大人気完璧超人が欠陥だらけだった!?なんて普通に出ますし。
それが的を得ているレビューだらけで。
ただし。
自分が好きな作品の批判は見ないこと。
自分の好きな作品の批評?
見ざる聞かざる言わざる。
人気ゲームや売り物にする娯楽用の品物。
その多くは。
無難なセリフと展開が好まれる。
当たり障りのないセリフが目立つ。
長所はないが短所もないので。
売り物にするのは。
無難なセリフと展開・・・なんてことに。
具合が悪いと人気を失うので。
下手なことはしない。
でも。
当たり障りのないセリフや展開。
無難なキャラクターの態度など。
そこを指摘されると言い返せないので。
売り物というものは。
いちいち商品としての魅力が必要なようで。
上記を徹底すれば比較的簡単に造れるので。
簡単に見える。
大衆向けの品物は製作が容易なのでは。
会社は良い仕事をしたから儲かるのである。
儲けとは答えであって。
儲け主義とは違う。
発言者「安藤百福」日清食品創業者。
出版不況で苦肉の策。
売れない商品を世論操作して無理矢理売って。
自転車操業を見ていると。
憐れに思えてしまい。
世論操作で広告費を投じても。
所詮は売れないものを無理に売っているのだから。
失速したらゲームオーバーだよ。
本当に売れるものだけ売ればいいのだが。
本が売れないのではなく。
売れない本を出しているというのが本当の所。
勝負出来るラインナップを既に揃えていればいいけれど。
短期的な戦略は必ず失敗するし。
長期的な戦略は後から必ず有効打になる。
商売は長期戦略が基本だから。
その場凌ぎの戦略で生き残れるような。
甘い世界ではないよ。
キーワード「錬度」
一般人と私との違いは錬度にあるようで。
才能は錬度に依存する。
確かに歴史は天才を生み出しました。
必要なだけの作品数は教科書になった。
早熟なタイプと晩成のタイプを除いて。
現代では天才なんて存在しません。
玄人か錬度がもの凄い超人がいるくらいで。
私も才能ではなくて。
思ったら錬度がものすごく違うんですね。
対等の条件で競ったら。
私に勝てる人物は居るのでしょうか。
いろんな事をやって錬度を飛躍的に向上させたのですから。
差が開き過ぎてつまらないです。
読み手のレベルが上がっていて。
多方向から検証されてしまいます。
映画・漫画・アニメ・ゲームを漁り続けた文化人が相手になりますから。
中には素人離れした読者もけっこう混ざっていて。
作家のレベルより読者のレベルが高い場合があります。
本当に小説家が有能であれば。
ギリシャ古喜劇か古悲劇を描いているので。
形式主義が誤りなのでは?
批評家のいけない所は。
本当の事を言い過ぎる点でしょうね。
あんまり本当の事を言ってしまうと。
それは嫌われますよ。
どこが間違っているのだ?
こんなのが決め台詞でしょうし。
充分な作品ならいいと思うけれど。
作品に完璧を求めるのが批評家のいけない所で。
それを見つけるのが上手なものだから。
あんまり本当の事を言うと嫌われますよ。
評論家も同じく。
事実を指摘してしまうのは。
両者しんどいやり取りでしょうねー。
評論家のいけない所も。
見たまんまを言ってしまう悪癖であるし。
見たまんまを喋りたいのは理解できますが。
もうちょっと雄弁であったら。
もうちょっと洒落ている言い回しだったら。
いいえ。
評論家があんまりにも見たまんまを言っている光景を。
いろいろ見てしまうので。
そのうち磔になるのではと。
干し芋や干物にされないでね。
体験談。
幸運の女神は浮気する。
与えたものをすぐに返せと言ってくる。
才能も贈り物なので。
返せと言われることでしょう。
玄人が安定して強い。
才能を得るよりも。
その道に通じた玄人になるほうが断然強い。
幸運は盲目。
才能という幸運を与えられた人間は。
これまた盲目で。
おまけに後から返せと。
幸運の女神は迫ってくるぞー。
哲学者の見解。
才能は偶然手に入れたと考えた。
偶然手に入れたので。
才能で手に入れた富を公平に分配せよと。
理解できない事を言っていた。
才能を贈り物として貰ったら。
すぐに複製するか。
売却して他の物を買わないと。
最後には幸運の女神に返せと迫られる。
与えるのも気まぐれ。
幸運の女神は浮気だ、与えたものを、すぐ返せと言う。
プブリリウス・シュルス「金言集」
まんがタイムきららキャラットで名声を得ている。
NEWGAME!
得能正太郎先生。
これぞ正論。
鍛錬を怠らなかった人にとって。
才能という言葉で説明されるのは。
私も不愉快ですなあ。
第五巻に収録されている内容です。
内容で勝負するタイプの漫画なので。
派手な演出や。
ぶっ飛んだ要素。
ファンタジー要素は無くて。
割と地味ですが。
リアルも地味なので。
違和感ないかも。
きらら初心者向け。
芥川?直木?
知らない。
受賞ニュース?
知らない。
鷲は蠅をつかまえない。
象は鼠をつかまえない。
鷲や象くらい堂々としたものになると。
蠅などには無頓着。
ギリシャ古喜劇・古悲劇が好き。
賽を投げろ。
ライトノベルは未成年に大ウケしているものの。
社会人には嫌悪されている。
未成年が絶賛支持しているが。
社会人は憎んでいる。
ライトノベルは人気ということになっているが。
本当は社会人には嫌われているので。
板挟みになって。
人気なのに売れない。
古本屋のライトノベルの取り扱いは。
在庫過剰でパンクしているので。
やるだけ損害がある。
警告。
芥川と直樹は庶民に実態が知られてしまい。
賛美の対象に相応しくないとの評判。
実際と食い違うので。
庶民は戦後のように馬鹿ではないので。
庶民をナメてかかると痛い目に遭うぞ?
社会人はベテラン勢の小説を好んでいるようで。
安定しているベテランに評判が良いのは当然。
庶民をなめまわした代償は高くつきそうだ。
ライトノベルの作家は1年単位で退場し。
3年経過した時点でブームが去っているので。
ろくな作家は残っていない。
文学が荒廃して無残になっている筈なので。
何もしない戦法をすれば。
作家使い捨て。
人材枯渇でこちらのターンが最後には巡ってくる。
文学の需要は低下しているものの。
残っているのが私しかいないので。
文学を独占できるから。
ライトノベルが破損すれば。
古典文学を占める私が有利。
敢えて計略を公開しておくと。
ライトノベル作家や芥川賞や直木賞はとっくに捨てられて。
古典文学が残るだけだよ。
古典文学しか残らない世界で。
必然的に私が有利を維持する。
たった数年であっても・・・。
ただし、何も起きなければ。
レトリックでは?
修辞学の感銘を与えるような手法のこと。
レトリックだけ使えば審査員なんて欺くことは可能。
内容がゴミであっても。
たいした技量(テクネー)が無くても。
レトリックだけ使えば審査員は通すよ。
どんな駄作でもレトリックという修辞学の手法だけ使えば。
欺くことは容易なので。
異世界とかなんとか賞とかレトリック使いたい放題だったりして。
なぜか納得できる人がいる。
評価で最も最悪なのは。
評価する人間に問題があるケース。
良識人が評価するなら。
前提に論拠があって当然だけれど。
評価する人間に問題があれば。
そう言った印象で操作されてしまう。
評価する人間に問題があれば。
購入者も何を証拠に買えばいいのか分からない。
結果論で損をするのは出版社や読者で。
作られた世論では一部の者が少し得をし。
大勢が損をする。
これだと常に割に合わない状況が作り出される。
事実。
いろんな非難や指摘は多いのだから。
評価で最も最悪なのは。
評価する人間に問題があるケース。
得点が高いのにレビューがゼロ件なのよ。
感想が八件あるだけで。
一万ポイントがついているのに。
支持者がひとりもいない。
応援する人が痕跡を残していない。
六万ポイントがランキングに掲載される事もあるけれど。
それも得点だけでレビューはゼロ。
頭が悪くなければ理解できる通り。
数字が不自然。
こんなのが「小説家になろう」のからくり。
どういう方法でポイントを回したのか知らないけれど。
なろう系は詐欺みたいな臭いがするので。
やめたほうがいい。
二個目は感想が390件ついているけれど。
レビューはゼロ。
あとランキングが数日で全部入れ替わっている。
六万ポイントの奴ばっかりだけれど。
レビューが極端にゼロという表示。
統計が奇怪な状態を示している。
ブックマークが一万五千件あるけれど。
レビューはゼロ。
実際に「小説情報」を見れば数字がおかしい。
「小説家になろう」は読まない事をお勧めしたい。
ライトノベルなんてこんなのばっかり。
詐欺とは言いませんが。
ステルスマーケティングには警戒したほうがいいし。
みんな騙されている事に気づいていた。
持ち上げてしまった人々は恥をかいて。
沈黙しているので。
あんまり広めないでね。
前々はたった二行か三行しかないレビューだけがあって。
問題視されていたけれど。
今度は発覚して過疎化しているようです。
そうなると出版社は弱みを握っているので。
使い捨てにしても文句は言わせない。
ちなみに漫画家が査定して濾過すると。
それなりに見栄えがいい作品になるけれど。
それは漫画家の腕前なので要注意。
なんとか賞とかも実質は宣伝とかこういうものなので。
騙されて近寄らなくなった市民が大勢いるのね。
騙された人は沈黙しているので。
宣伝しているものとか統計に関するものは読んではダメだよ。
邪悪な出版社に買い取られると災害を被る。
使い捨て。
編集者の圧力。
妬む人が潰しにかかる。
あの本売れましたね〜とか言いつつ。
次も期待していますよ。
お得意の褒め殺し。
調べた上で素晴らしい出版社と契約すること。
適当に仕掛けてきた出版社で。
なおかつ契約書の内容が薄かったりしたら。
カモにしているのは明らかなので。
出版しか考えていない奴は手玉に取りやすい。
世の中の醜悪な部分を見ていないと。
手遅れになった時に気づいてしまう。
両者。
今後も長い付き合いをしたいという出版社なら最高で。
褒められても。
まぐれですけれど。
公正に評価されただけ。
こうやって逃れること。
持ち上げて落とすようなカモにされる危険もある。
処世術の基本なのですけれど。
そもそも。
私はいろんな事について知らないフリをしている。
しぐれうい。
「Twitter」で発信中。
こういう場所から女性の最大の能力が発揮されている。
芸術や芸能において確認。
ういママは系統の違う文学に所属しているよ。
キャラクター文庫や純文学系がかなり伸びている。
いつの間にか純文学の傾向を持った小説が。
裏手の方から影響力を伸ばしているので。
長い目で見ると直木賞や異世界系は抜かれるでしょう。
残念ながら異世界モノと売れっ子には技能の差がありますので。
今の内にういママのお奨めを確保しておけば?
自分の原稿について。
アリストテレース「詩学」第25章。
人々の批判は五種類の理由。
不可能である。
不合理である。
有害である。
矛盾している。
技術的にまちがっている。
これらの理由を徹底的に回避することで。
趣味という範囲に収めています。
カフカ「変身」
ある朝、目を覚ますと。
自分が巨大な毒虫に変わっているのを発見する。
奇怪な小説ではあるものの。
登場人物が違和感なく普遍的な物事として動じないなど。
童話でもありえない展開。
文法が卓越しており、読みやすい。
散文体でここまで整った文法はありません。
カフカ「変身」を丸コピーした盗作がアニメ化されているらしいですが。
それではなぜカフカは有名にならないの?
カフカは自伝に。
「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」と述べている。
ノーベル文学賞のカネッティは「変身」を追い越す作品はないと。
激賞しています。
カフカは失敗作であると言っていますが・・・。
じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ。
シェークスピア学者の解説がついていますが。
元になった作品の一覧が入っていますし。
内容も解説者は熟知していますね。
価格が安いので。
立ち読みでもいいでしょうけれど。
文学は元になった作品がいっぱいあって。
シェークスピアはその傾向が強く。
模倣というのは文学では当たり前であると。
ここから知ることができます。
アリストテレスは元祖創作論。
同時にかなりの批評家。
ソポクレスを評価しているものの。
やっぱり凄いぞと。
説明していたりも。
アリストテレスも唸るオイディプス王は。
文学界の王様になっている様子。
実は図書館でギリシア悲劇集とか。
普通に置いてあるので。
時間があったら停留してね。
アリストパネスの風刺と喜劇も見どころ。
筆者はずっと前からこんなの持ってるよ。
批評家は審査員として成功していませんか?
アーサー王物語。
阿刀田高訳。
こんな面白い物語は読んだことがありません。
アーサー王物語は。
いろんなものが混ざって。
確定している作品群ではありませんが。
阿刀田高さんの訳本はかなり良好にまとまっていて。
この人の訳本を読んだら。
この世に出ている物語や小説なんて。
大人と子供の戦いになってしまい。
他の訳本でも同じでしょう。
面白い小説が読みたい!!
ならば「アーサー王物語」が推奨されますよ。
雑魚を蹴散らす騎士様が。
古本屋などで並んでいますし。
本物の翻訳は素晴らしい。
これには及ばない。
最強。
大人の文学を描くには?
手っ取り早いのは。
アリストテレス「詩学」をみっちり読むこと。
詩的で詩情に富んだ作風は詩人しか出来ない?
創作論はみっちり書かれていて。
アリストテレス「詩学」はアマゾンで買えるよ。
これを読んでから文学を始めるのもアリ。
上手な模倣は最も完全な独創である。
ヴォルテール。
坪内逍遥。
「小説神髄」で英語のnovelを「小説」と訳したことで。
由来になって。
小説という言葉が定着している。
最初からあるのは「戯曲」の形態であって。
小説は人によって造られた概念であると推測される。
人工物が「小説」で。
最初からあるのは戯曲。
ソフォクレスを始めとする。
古代ギリシャの偉人から見て取れるように。
小説というのは人工的に造られた形式であって。
いにしえから続いているものは「戯曲」であると結論付けた。
いつになったら気付くのでしょうか。
私の文学は散文ではなくて。
シェイクスピアのように劇であり。
ゲーテのように詩的。
私が言うまで分からないのかも。
素人にはうんざりする。
散文とは我流の稚拙な文法で。
私は決して散文で書いてはいない。
申し訳ないが。
以上の説明で。
私の右に出る作家はまずいない。
現時点でこれ以上。
文芸学の発展は見込みないけれど。
少しずつサイエンス・データが集まってきている。
解き明かして使おう。
簡単に使いこなそう。
というのはまだ先の話になるでしょう。
ざっと集めてこのくらい。
現在の限界になってしまったよ。
今なお世界中の芸術家・思想家に影響を与え続ける不朽の名作。
「ファウスト」は着想から60年の歳月を費やして完成された。
似ているようなもの?
私の執筆は終わらないでしょう。
でも。
私の現在の限界が丸分かりになってしまったね。
科学と宗教を融合して。
解き明かそうにも。
分かるのはこれくらい。
これ以上は史実でも読んだことない。
今後のサイエンス・データの獲得に尽力する。
※多少愚かな所はあります。
※千慮一失。