国際忍者学会。
1487年。
甲賀衆が足利将軍を撤退させる。
その地に幕府に敵対する武将が逃げ込んだのがきっかけ。
民兵が交戦して。
神出鬼没な戦いで翻弄。
将軍の寝所にまで忍び込んで。
手傷を負わせた。
それをきっかけに。
伊賀・甲賀衆は忍者となり。
名が全国に知れ渡る。
伊賀・甲賀は水の権利を巡って。
争いが多く。
限られた土地の競争が激しかったとされる。
要塞化された屋敷は現在も残っているほど。
そうした土地柄から自然発生した民兵は。
独自の戦法を編み出し。
忍者となる。
戦国の世の影のヒーローとまで言われた忍者。
詳しくは研究者が知っていて。
忍者博物館が実在するとの情報もある。
服部正成の初陣。
伊賀者を率いて参戦。
服部半蔵と言われてしまったこの人物は。
忍者の家系の出身。
三河西群城に忍び込んで。
落城に貢献するなど。
城に忍び込む作戦は。
普通に可能であって。(初陣の場所には諸説ある)
戦闘力は現在も格闘技として習うことができるが。
本来は武器やアイテムを使う筈なので。
格闘術のみが現存している。
忍たま乱太郎では専門用語が普通に出ます。
戦乱の世で影として大名に仕えた忍者は。
歴史的な民兵組織で。
忍者研究家は日本各地で資料を広めている。
武士について。
なぜ武士は人を自由に斬ることができましたか?
日本は神代から政治と軍事が一体化しており。
ヨーロッパのように。
政治と軍事を分離していません。
ローマ以外で政治と軍事を切り離した事例はあんまり知りません。
政治と軍事が一体化している。
日本の特徴であって。
人を斬る事が可能でしたが。
基本的に軍事以外に武器の使用は認められておらず。
人を斬った武士が処罰された事例もあります。
日本の武器。
日本刀は両手剣の一種で。
世界でもっとも扱いが難しい武器です。
戦国の世の主力は長槍で。
こちらも両手武器。
歩兵の槍は突くのではなく叩き付ける。
武芸の達人は一般的な鎧を陥没させました。
盾は両手武器が主流であった日本では。
使われなかったかもしれませんね。
火縄銃は種火を炊いておけば発砲は難しくはなく。
ライフルではありませんので。
三重の竹を固めた盾で防げたという専門家の発言があるほど。
ヨーロッパの鎧はマスケット銃の直撃を防げましたので。
火縄銃で甲冑を貫くのは簡単では無かったのでしょう。
それでも長篠では。
甲冑を装備した将校が討ち死にしていますし。
個人的な研究では。
田んぼは乾燥すると単なる荒れ地で普通に歩けますし。
住宅地に陣取れば。
田んぼは沼地になるので。
騎兵は通過できないなど。
すべての史実が解明されているわけではないので。
知っていることだけ。
結局は専門家。
歴史研究家の特許になりますので。
この辺りで。