民主主義とは何か?

民主主義とはまず国家から話を進めるべきです。

国家とは国の家族。

国民ひとりひとりが国家の元に繋がり。

家族のようになる。

国家として全員がひとつになること。

これが大切な到達点に成り得ます。

国家の元に全員が連携して。

家族としてひとつにまとまるのです。

むかしは王様が居ました。

王様は民を守り国の主として存在しました。

国民はそうした王様を支持し。

王と民はひとつになっていた。

いま時代は進み。

国家のもとに。

国旗のもとに。

全員がひとつになる

さらに国民ひとりひとりが非力であってはいけません。

力を認め。

力を大切なものとし。

力を求めた上で。

強者が集まればそれは世界最強の強さを発揮するでしょう。

力こそひとの革新になるでしょう。

凡庸な者は力を否定し。

臆病に弱者として存在しました。

しかし非凡な者は常に力を求め。

強者へと必然性において君臨しています。

国民ひとりひとりが力を持つことは民主主義の絶対条件ではないでしょうか?

国民に主権がありながら。

国民全員が強者であれば。

かつての王様以上に事を成せる。

これは当然の結果ではないでしょうか?

力については私達は確かに無知です。

しかし。

全員連携こそ民主主義の根本的原則であると見出したのです。

民主主義は衆愚政治と否定されました。

果たして我々は衆愚で甘えていいのでしょうか?

みな賢明であるべきです。

現代も歴史の1ページ。

歴史は終わってないのです。

いまこのときも歴史の中に我々は存在しています。

民主主義も進化を得るべきで。

このままの現状に甘えてしまっては。

これまで積み重ねた歴史を侮辱し。

人類自体が愚かな存在として確立されてしまうかもしれません。

人類は進化する生き物。

現状に甘える子供のような姿勢は。

恥ずべき文化でしょうか?

後の世の人々の笑いものになったらいけません。

その前に手を打ちましょう。

幸いにも我々には少しばかりの賢明さがあります。

民主主義はいまだ完成されておらず。

初期の原型を使っているに過ぎない。

現代人とは先人の発想を図々しく使うだけの雑魚でしょうか?

いいえ違います。

現代人とは進化する前の。

サナギなのです。

わたし達は進化を願うべきで。

日頃の指針とは進化を求めることだと信じられます。

人類はいつしか前に進む勇気を失いました。

神聖からは遠い存在になれ果てました。

ここで終わっていいのでしょうか?

いいえ。

いまこそ始まるのです。

民主主義はここから始まるのです。

いまこそ歴史に裏打ちされた人類の英知を発揮するときです。

民ではなく国民の世になるのです。

民の世ではありません。

国民の世になるのです。

いまこそ国旗を掲げ。

光明が見えたその日から。

ついに賢者の階段を上がるとしましょう。

人類はついに賢さを得て。

次の進化へ足を踏み入れます。

それは人類の愚かさからの解放です・・・・。



議論。

王様をわがままだと言っておきながら。

民衆はわがままだという事実があります。

「大衆は、常に間違っている」

アール・ナイチンゲール(Earl Nightingale)

とあるように。

大衆は間違った存在です。

大衆の考えは常に間違っています。

衆愚政治に陥らないように警戒しつつ。

ひとつの時代を築いて。

未知なる政治へと移行する。

民主主義もやがて終わり。

新しい政治が行われるのです。

民主主義もひとつの時代の形なのです。

政治の専門家がやっていますが。

時には反対意見も必要ですし。

いろんな意見があって。

その中から正解を模索していますので。

民衆の多数決に惑わされず。

洗脳されずに。

なんとかやって行きましょう。

民主主義を上手に活かさない手はありません。


自由でないのに、自分は自由だと思っているものほど奴隷になっているものはない。

「親和力」第二部第五章から(ゲーテ格言集)


すべての人間が、自由を得るや、その欠点を発揮する。

強い者は度を超え、弱い者は怠ける。

(格言と反省から・ゲーテ格言集)


凡そ自由の使徒は気に食わなかった。

結局みんな我がまま勝手をしたがっていたのだ。

多くの人を解放しようと思うなら。

進んで多くの人に仕えてみよ。

「ヴェニスの警句」から。


自由というものは妙なものだ。

だれでもみずから足るを知って暮らすことを心得たら。

容易に満足する。

用いることのできない過度の自由がなんの役に立とう。

エッカーマン「ゲーテとの対話」1827年1月18日から。


アリストテレス。

平等を求める者は、たいてい劣っている者で、能力の低い者ほど、平等を要求する。

また中位の者は、むしろ優越を欲して特権を要求する。

しかし、真に優れている人は、平等も要求しないし、優越も要求しない。


アリストテレス。

当人の思想を受け入れずとも、その人をもてなすことができるのは、教育を受けた者の証だ。

受け入れずして思想をたしなむことができれば、それが教育された精神の証である。


ソクラテスが「法律ばかりあるのは悪政の兆候」と言ったり。

孔子が「法律で統治すればみな法の抜け道を探そうとする」と言ったり。

個人的には民主主義は嫌いです。

またゲーテは「権威があるから人は存在できる」と著書にある。

ニーチェは「批判は腐敗を防ぐ風である」とも言っている。

賢人は「批判には建設的な要素がある」とも言っている。

そもそも民主主義の基本原則に立ち戻り。

自分たちを見直さないと。

自分たちを見直す機会に恵まれなければ。

これまでの歴史と同じように。

腐敗して倒れてしまうだろう。

批判を入れて防腐剤にする事ができる。

そろそろ転換点かもしれない。

ニーチェの言う通りにすると「この手の批判で腐敗を防いでいる。」

腐敗して倒れたら単なる愚者の世となってしまうので。

防腐剤はしっかり入れておきたい。



民意なんて政治に反映すれば。

衆愚政治に陥ります。

沖縄だって衆愚政治だもん。

実は民主主義とは国民の意見は反映されません。

国民の自由と権利を政府が保証する政治体制ですもん。

少し夢を見ていませんでしたか?

私はあれでもいいとは思いますがね。


王様が政府になったので。

独裁や悪政に陥ることは少なくなりました。

政府も立憲君主の強力版で。

大統領と総理は立憲君主の仕様変更と化しています。

権威の下に国民がありますので。

国民も総意として表明しない限りは。

政府も動かんとです。

政府も国民重視の思考を持っていて。

大統領も総理も国民に仕えています。

国民は権威には逆らえません。

なんかいろいろ言われたでしょうが。

見た通りに書いただけです。

王様の代わりに政権を立てたのです。

権威が無ければ人は存在できません。

神代から人の時代に移り変わるとき。

村には村長が居て。

そんな小規模の集落や組合が点在している程度で。

国家権力や統率も秩序もありませんでした。

政府や権威を失ったら。

そんな時代に逆戻りです。

よって。

政府(政権)が王様に代わって国民を支配しています。

みんなわがままを言うでしょうが。

逆らうことはどうしても無理です。

ヨーロッパで立憲君主に人々がこだわったのは。

悪政や暴政を恐れたからです。

神権政治では。

式典の最中に。

子供が王座に座ってしまっても。

頭をナデナデして終了です。

お咎めなし。

ローマ教皇のことですよ。

民主主義とは民を重視した主義という意味合いだと判明した為。

民重視にすると政府が国王の代わりになって。

国民に仕えないといけません。

民を最重視すると。

国民が責任を持って投票をして。

有力者が大統領になって。

大統領が王様の代わり。

事実上の立憲君主になり。

暴政でもすればみんなで落とせるのです。

民重視の政治体制が民主主義ですので。

権威に逆らわなくて済むとかそういう話ではありませんし。

多数決でもありません。

政治家(国民に仕える政治の専門家)が議論して決めています。

権威があって国民がある構図は変わりません。



天下を取った「民」。

確かに最後に天下を取ったのは「民」です。

民主主義もどこかいけない所があるのでしょう。

それが私の不満の素です。

天下を取った「民」ですが。

そんな。

思ったよりは頭が悪くなかったですよ。

王政は自然発生していた。

民主主義は幕末の志士の尽力があった。

こうなると。

民主主義なんてものはわからないです。

子供の理屈も横行しています。

人が勝手に作ったのか。

人の愚かさの成せる技なのか。

世界の自然な流れなのか。

結論としては。

民主主義とは所詮「思想」で出来上がったもので。

思想が通じない私にとっては。

批判の的になった。

民主主義が正しいか正しくないかの正否はわからなかった。


-ソクラテス-

法は、善人のために。

作られるものではない。


-意見-

じゃあ善人の為に法律を作ってよ!!

悪人の命より被害者の命の方が優先されないとだめだと思うけれど・・・。

実際に法律は高圧的に見えるので。

悪平等が民主主義なんでしょうか?



「権威が上にあって民が支配されている構図はむかしから変わらない。」

「その上で国民の意思が尊重された結果。」

「大統領や総理という政治体系になった。」

「平等と自由については国民そのものが荒らしまわっている?」

「機能不全で上手に行っていない?」

「悪平等が民主主義のデメリット?」

「民主主義は退廃・堕落・腐敗する。」

「民主主義の警句・衆愚政治・パンとサーカスを活用すべし。」



安倍総理やトランプ大統領を批判?

だって。

あれが民主主義ならば私達は何をしているのか。

安倍総理も大変だなあ。

トランプ大統領のツイッターに。

「さあ民主主義をはじめましょう。」と応援を送りたいくらい。

アカウント無いけれど。

SNSとか爆発しそうで使えない。

安倍総理も次の総理も。

あれが民主主義でしょうから。

しょうがない。



新憲法によって、わが国のいわゆる「民主政治」が確立されたが。

現在の政治の形態がはたして当初に期待された如きものであるや否や。

真に民主政治が確立されるまでは。

国民は深き注意をもって常に政治、政局の推移を監視せねばならぬ。

政治のあらゆる段階に人気取りが横行する。

それは結局国民の負担となり、ひいては政治の腐敗、道義の低下を助長するのである。

『映像の世紀プレミアム』第12集「昭和 激動の宰相たち」から)

まさに、現在の日本の政治的状況に対する警鐘のようである。

吉田茂の言葉。

真に民主政治が確立されるまでは。」という辺りがテーマですよ。

ではどうぞお好きに。


民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。

民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。

マハトマ・ガンジーはこう述べている。

「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」


第3代大統領トマス・ジェファソン。

「国家が文明の状態に無知であり、そこに囚われないつもりならば、その国は過去にも未来にも決して生じ得ないものを期待していることになる」

要約「国家が文明の状態に対して無知なら国家に対して希望を持つな。」



君主制「一人の王様が支配。」

貴族制「少数の特権階級が支配。」

民主制「国民みんなで支配。」

君主制・独裁制「王様が好き勝手やると国がボロボロに。」

貴族制・寡頭制「特権階級が権力争い派閥争いに夢中になり国がボロボロに。」

民主制・衆愚制「政治に無関心な大衆が増えた場合、人気投票などで国がボロボロに。」

いずれの政治体制も問題を抱えており。

どれが一番優れた体制だとはアリストテレスは決めていません。

「民主主義は最悪の政治形態らしいよ」とチャーチルは言いましたが。

現在。

衆愚政治に真っ直ぐ突き進んでいる様子を見ると。

チャーチルはアリストテレスのような賢者には到底及ばず。

ギリシア三賢者の偉大さが見て取れます。



西洋のようにキリスト教が社会システムに組み込まれていれば。

民主主義もはじめて機能するのでしょう。

西洋では成功しておりますが。

日本の民主主義指数はかなり低いのです。

非宗教的な民主主義は倫理としては最悪でしょう。

異常性があってもおかしくはないです。

宗教がひとを正常に導くのと同様。

非宗教民主主義は最悪の状態になるのは必然なのかな。

私が嫌うもの。

日本の民主主義指数がかなり低いのは非宗教な民主主義が原因なんでしょう。

西洋では宗教は社会の一部ですから。

日本も見習うべき。

無宗教者がやる政治なんて人間中心の身勝手なものではありませんか?

天神地祇を祀るというのなら災害も治まりますよ。

天神地祇を祀る事を憲法に定義して欲しいくらい。

民主主義指数が世界的に低い日本。

せめて正しい宗教くらい採用してほしいものです。

でないと今後の発展は無いでしょう。

民主主義は宗教なしで機能するとは思えない。

大抵の不満は民主主義指数が低いから発生しているのだろうと思われますよ。