否定には論証が存在しない。
結論をぶつけて。
結論のみに執着しますと。
もうこれは単なる悪口であって。
論破したことにはならない。
言い負かしたくらいなもので。
悪口を言って結論をぶつけても。
論証がありませんので。
攻撃や暴行になっていますよ。
否定に論証を求めますと。
答えは屁理屈や言い掛かり。
妬みや気に食わないと言った。
もはや理由がありません。(!)
しかし。
否定も必要で。
NHK「童話モモ」の解説者は「否定を通して真理に到達する」と発言。
誰も否定されなければ。
誰も正しくない。
否定されてやっと。
何かに気付く。
すべてが一度リセットされて。
再考を強制されてしまう。
もっとも。
憤怒によって我を張りますと。
独善的な人間になる危険性があります。
否定されて。
そうではないと。
自己診断。
自分の中の正常な部分がそう訴える。
その否定は正当なものだろうか?
否定を真に受けてはいけません。
充分な知識があれば。
否定から生じた多くの矛盾。
これは弁証法。
アウフヘーベンの材料になるのでは?
こうしてより高い次元で統合されていく。
もし否定されなかったら。
自分の間違いや。
何かに対しての間違いに気付かないでしょう。
永遠に自分を信じ続けて。
狂信者になってしまう。
否定はすべてに再考を迫ります。
結果論として。
この世の真相に到達する道筋が出来るのです。
以上の論証で。
「否定は真理に到達する道」という発言が証明できるのでは。
人々の中にはBotやNPCみたいな人間もいます。
予定説としては使い捨ての不要品かもしれません。
自分というものを持たないのです。
なんて言ってみると。
否定には論証が存在しないこと。
否定されると疑問が生じる。
何か違うぞ?
何か違うので反発する貴方がいる筈です。
否定もメリットがあるわけで。
デメリットもあるわけで。
否定は否定されるのです。